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取材で出会ったわいわい農園さんとコラボ!
2021年11月08日
皆さんこんにちは〜!
今日は、以前取材で出会った
わいわい農園さんと夢のコラボワークショップをすることになりましたのでそのお知らせです。

人と環境に優しくというテーマで楽しいことをします。





スマッジスティックとは?
もともとはアメリカの先住民が、ハーブや木を焚いた煙を使って場所の浄化やヒーリングをしていたのが始まり。 乾燥させたホワイトセージや、香木などをぎゅっと紐で縛ったものをスマッジスティックという。
見た目が可愛いので、燃やさずそのまま部屋や玄関に飾る方もみえます。
まこもは生命力が高いので燃えませんのでご了承ください。
あと、まこもの新茶ティーパックのお試しとまこもスイーツのプレゼントもあります♡
参加してみたいなぁ〜と思われた方は、
m-roomの公式ラインよりお申し込みください。
↓↓↓
https://lin.ee/mhBpTsO
今日は、以前取材で出会った
わいわい農園さんと夢のコラボワークショップをすることになりましたのでそのお知らせです。

人と環境に優しくというテーマで楽しいことをします。





スマッジスティックとは?
もともとはアメリカの先住民が、ハーブや木を焚いた煙を使って場所の浄化やヒーリングをしていたのが始まり。 乾燥させたホワイトセージや、香木などをぎゅっと紐で縛ったものをスマッジスティックという。
見た目が可愛いので、燃やさずそのまま部屋や玄関に飾る方もみえます。
まこもは生命力が高いので燃えませんのでご了承ください。
あと、まこもの新茶ティーパックのお試しとまこもスイーツのプレゼントもあります♡
参加してみたいなぁ〜と思われた方は、
m-roomの公式ラインよりお申し込みください。
↓↓↓
https://lin.ee/mhBpTsO
多様性を認め合いさらに広がる飛騨地鶏!
2021年10月01日
みなさん、こんにちは。
飛騨エシカルの室です。
今回私がお邪魔したのは、飛騨神岡にある、
「飛騨流葉牧場 社会福祉法人 めひの野園」さん
たまたまインスタで飛騨地鶏の発信をされている方を見つけ
とても興味がわきアポを取ったところ快く引き受けて下さったので、取材させて頂くことになりました。

日本三大地鶏といえば、
比内地鶏、名古屋コーチン、薩摩地鶏の3つが有名。
正直、飛騨地鶏の存在をまだご存じじゃない方もいるのではないだろうか?
飛騨地鶏は、なんと、お父さん鶏が大型黒軍鶏で、お母さん鶏が名古屋コーチンなのだ。
それだけで、なにかとてつもないパワーを感じる。
そして、一般的にスーパーに並ぶブロイラーと呼ばれる鶏とは違い
飛騨市神岡の大自然で伸び伸びと育てられている。
そんな、希少な地鶏を育てる事業を運営しているのが、
多機能型事業所(就労支援継続支援B型・就労移行支援)のめひの野園さん。
※就労支援B型事業所とは?
障害のある方が一般企業への就職が不安、あるいは困難な場合に、雇用契約を結ばないで軽作業などの就労訓練を行うことが可能な福祉サービスのことをいいます。
福祉のプロである職員さん9名と、何らかの障がいがある利用者さんが協力して、
この飛騨流葉牧場を運営している。
ここが福祉事業所として活動に至ったのは、3年前。
でも飛騨地鶏はもっと前に誕生している。
飛騨地鶏は元々、飛騨市が県に依頼して「飛騨地鶏」という食肉鶏ブランドを立ち上げた所から始まる。
それが、2004年、古川町、神岡町、河合町、宮川村が合併した時の話。
しかし管理経費が嵩むこと、食肉処理場の確保そして市場開拓が進まないという色々な問題が重なり、
飛騨地鶏の生産に携わっていた2つの組合のうち1つは解散し、もう1つの組合が
「飛騨地鶏研究クラブ」という名前で継続してきた。
経営に困っていた中、富山で福祉事業の運営に経験豊富な「めひの野園」からお話があり、
飛騨地鶏研究クラブの方が思い描いていた施設の建設と福祉事業のコラボという形で
「飛騨流葉牧場」が2019年に生まれたのである。
※めひの野園HP資料より一部抜粋
色々な方々の想いで生まれたこの施設と飛騨地鶏は、
自然豊かな場所でとても大切に育てられている。
利用者さんは、男女で21名、飼育部門と加工部門に分かれている。
解体は職員の方が担当。
飼育、解体、加工すべてを一つの場所で一貫して行える場所は珍しく、
しかも福祉事業で運営しているのは飛騨ではここだけとのこと。
飛騨地鶏が生まれてからお肉になるまでは、約100日間。
一般的なブロイラー種は、30日~40日間でお肉になる。
約、2.5倍から3倍の日数を広い鶏舎の中で放し飼いで過ごすことになる。
100日間毎日餌を食べて動き回り、旨みもギュッと詰まっていて、
普通の鶏とは違いシャクシャクとした食感が特徴だ。
そんな飛騨地鶏達の生まれてからお肉になるまでを、ひとつひとつ、丁寧に責任者の堀さんが
説明してくださった。
飛騨地鶏の親は冒頭でも少し触れたが、
お父さんが大型黒軍鶏で見た目はとても力強い感じ。
お母さんは、名古屋コーチン。
雄が1、雌が10の割合で鶏舎に住んでいる、そこで平飼いしてあり好きな時に卵を産む。

鶏は卵を産むときに静かに巣箱の中で産むため、鶏舎の右側には巣箱が作られている。
とても自由な空間で、鶏たちは元気にと動き回っていた。
1日2回朝晩に生まれた卵を利用者さんが回収。
回収された卵は糞などを洗ったあと、ワインセラーで10日分貯める。

有精卵か無精卵かは見た目で判断できない為全て回収して丁寧に保管。
その後、孵卵器という人工的に卵を孵化させる装置に入れられる。
有精卵がごく一部なのでヒナになるのも全体の少しで、無精卵のほうが多い。
孵卵器は37.5度という一定の温度に保たれていてゆりかごのようにゆらゆら動く仕組みになっている。

人間は早産や遅れて出産などがあるが、鶏は必ず21日間で孵化されてひよこになる。

とても規則的で面白い。
黄色いひよこを想像したが、飛騨地鶏のひよこは真っ黒。
ただまれに白っぽいものも出ることがある。
色が違っても成長するにつれて黒くなってくそうだ。
なぜか聞いたところ、利用者さんの一人が名古屋の血が強いのかな~とおしゃってた。
そして、温室で2週間育てられて少し成長したら、鶏舎へ行く。
その後、解体されるまでその鶏舎で一生を過ごすのである。
生まれてから60日くらい経った鶏舎を見せて頂いた。
雄と雌が半々くらいでいて、コォッコォッコォッコーととても賑やか。

雄は茶色くて、雌は真っ黒になる。
雄と雌で大きさや硬さに多少違いがあるため、解体する時期はずらしている。
解体作業は職員のお仕事。
解体後は、利用者さんの手によってもも肉の骨取り、産毛を抜く作業、焼き鳥用に串に刺したり、袋詰めなどひとつひとつ丁寧に行われる。
加工室はとても静かで黙々と作業されている姿が。

「やりがいを感じるときはありますか?」
という質問に対して
「一般の主婦では絶対に体験できないことをすることができるんです。」
「スーパーの鶏を見た時に、おいいしいかそうじゃないかが分かるようになった!」
「鶏を見る目もこえた」というお声を頂いた。
どうやって見分けるのかを教えてもらいたかったが、あまりにも一生懸命作業されていたので、
その場を離れることにした。

肉の骨を綺麗に取り除く作業は、難易度が高い。

産毛をピンセットで丁寧に抜く作業はとても根気がいる。

焼き鳥用のものを作る作業は、1日に何十本も作る。
そんな感じで一連の流れを、責任者の堀さんからして頂いた。
堀さんは福祉のプロ。
近くで利用者さんにずっと寄り添ってきてこれからもそのスタンスは変わらない。
「障がい者さんと関わる中でのやりがいはありますか?」
一瞬黙って、ゆっくりと口を開く。
「引きこもりだった人や、病院から来てとても顔色の悪かった人たちが、顔色もよくなり、
自信をつけて人間らしくなっていくのを見た時ですね~」としみじみと答えられた。
取材中、利用者さんが働いている所を回る時もフランクにお話されていて、みんなから信頼されているのが垣間見えた。
そして、私が印象に残ったことは、こんな言葉。
「障がいあるからできないのではなく、彼らにしかできないこともたくさんある。
できないことをできるようにするのではなく、
できることをどんどん伸ばして長所を伸ばしていくことが大事。
飛騨地鶏も知ってほしいけれど、それ以上に障がいのある方が頑張っているということを知ってほしいですね~」
飛騨地鶏を食べる機会があったら、
福祉のプロである職員さんと、利用者さんが一生懸命丁寧に育てられたということを思い出して頂きたい。
最後に、責任者の堀さんよりメッセージを頂戴しました。
「私たちは、安心・安全・健康をもっとうに生産に励んでいます。地元で作っている飛騨地鶏をぜひ食べてください!」
地元で作られている貴重な飛騨地鶏、ぜひ、一度お試しくださいね!!
飛騨流葉牧場の皆様、今回はお忙しい中取材にご協力頂きありがとうございました~!
(取材日 R3年 9月 27日)

流葉牧場の隅っこにあるわらべ地蔵。鶏の命を頂くため、必ず行われていて、供養と五穀豊穣、その他鶏や利用者さん、流葉牧場に関わる全ての方々の無病息災を願う祭事が毎年5月頃行われている。
飛騨流葉牧場のブログ
社会福祉法人めひの野園ホームページ
*******************************************************************
【今回の取材で学んだこと】
私たち人間はあらゆる生物を当たり前のように食べていて、昨今ではフードロスも問題になっています。
物に溢れていて、食べ残してもなんとも思わない現代人もいる。
大量に生産して廃棄するのではなく、
貴重な命を余すことなく頂くことが大事なのではないかと私は思います。
そして、多様性を認め合うことで新たなビジネスやサービスが広がる可能性もある。
障がいのある方も健常者も助け合える世の中になっていってほしいものです。
排除する世界ではなく、お互いが認め合える世界の向こう側に、
持続可能で豊かな暮らしが待っているのかもしれません。
飛騨エシカルの室です。
今回私がお邪魔したのは、飛騨神岡にある、
「飛騨流葉牧場 社会福祉法人 めひの野園」さん
たまたまインスタで飛騨地鶏の発信をされている方を見つけ
とても興味がわきアポを取ったところ快く引き受けて下さったので、取材させて頂くことになりました。

日本三大地鶏といえば、
比内地鶏、名古屋コーチン、薩摩地鶏の3つが有名。
正直、飛騨地鶏の存在をまだご存じじゃない方もいるのではないだろうか?
飛騨地鶏は、なんと、お父さん鶏が大型黒軍鶏で、お母さん鶏が名古屋コーチンなのだ。
それだけで、なにかとてつもないパワーを感じる。
そして、一般的にスーパーに並ぶブロイラーと呼ばれる鶏とは違い
飛騨市神岡の大自然で伸び伸びと育てられている。
そんな、希少な地鶏を育てる事業を運営しているのが、
多機能型事業所(就労支援継続支援B型・就労移行支援)のめひの野園さん。
※就労支援B型事業所とは?
障害のある方が一般企業への就職が不安、あるいは困難な場合に、雇用契約を結ばないで軽作業などの就労訓練を行うことが可能な福祉サービスのことをいいます。
福祉のプロである職員さん9名と、何らかの障がいがある利用者さんが協力して、
この飛騨流葉牧場を運営している。
ここが福祉事業所として活動に至ったのは、3年前。
でも飛騨地鶏はもっと前に誕生している。
飛騨地鶏は元々、飛騨市が県に依頼して「飛騨地鶏」という食肉鶏ブランドを立ち上げた所から始まる。
それが、2004年、古川町、神岡町、河合町、宮川村が合併した時の話。
しかし管理経費が嵩むこと、食肉処理場の確保そして市場開拓が進まないという色々な問題が重なり、
飛騨地鶏の生産に携わっていた2つの組合のうち1つは解散し、もう1つの組合が
「飛騨地鶏研究クラブ」という名前で継続してきた。
経営に困っていた中、富山で福祉事業の運営に経験豊富な「めひの野園」からお話があり、
飛騨地鶏研究クラブの方が思い描いていた施設の建設と福祉事業のコラボという形で
「飛騨流葉牧場」が2019年に生まれたのである。
※めひの野園HP資料より一部抜粋
色々な方々の想いで生まれたこの施設と飛騨地鶏は、
自然豊かな場所でとても大切に育てられている。
利用者さんは、男女で21名、飼育部門と加工部門に分かれている。
解体は職員の方が担当。
飼育、解体、加工すべてを一つの場所で一貫して行える場所は珍しく、
しかも福祉事業で運営しているのは飛騨ではここだけとのこと。
飛騨地鶏が生まれてからお肉になるまでは、約100日間。
一般的なブロイラー種は、30日~40日間でお肉になる。
約、2.5倍から3倍の日数を広い鶏舎の中で放し飼いで過ごすことになる。
100日間毎日餌を食べて動き回り、旨みもギュッと詰まっていて、
普通の鶏とは違いシャクシャクとした食感が特徴だ。
そんな飛騨地鶏達の生まれてからお肉になるまでを、ひとつひとつ、丁寧に責任者の堀さんが
説明してくださった。
飛騨地鶏の親は冒頭でも少し触れたが、
お父さんが大型黒軍鶏で見た目はとても力強い感じ。
お母さんは、名古屋コーチン。
雄が1、雌が10の割合で鶏舎に住んでいる、そこで平飼いしてあり好きな時に卵を産む。

鶏は卵を産むときに静かに巣箱の中で産むため、鶏舎の右側には巣箱が作られている。
とても自由な空間で、鶏たちは元気にと動き回っていた。
1日2回朝晩に生まれた卵を利用者さんが回収。
回収された卵は糞などを洗ったあと、ワインセラーで10日分貯める。

有精卵か無精卵かは見た目で判断できない為全て回収して丁寧に保管。
その後、孵卵器という人工的に卵を孵化させる装置に入れられる。
有精卵がごく一部なのでヒナになるのも全体の少しで、無精卵のほうが多い。
孵卵器は37.5度という一定の温度に保たれていてゆりかごのようにゆらゆら動く仕組みになっている。

人間は早産や遅れて出産などがあるが、鶏は必ず21日間で孵化されてひよこになる。

とても規則的で面白い。
黄色いひよこを想像したが、飛騨地鶏のひよこは真っ黒。
ただまれに白っぽいものも出ることがある。
色が違っても成長するにつれて黒くなってくそうだ。
なぜか聞いたところ、利用者さんの一人が名古屋の血が強いのかな~とおしゃってた。
そして、温室で2週間育てられて少し成長したら、鶏舎へ行く。
その後、解体されるまでその鶏舎で一生を過ごすのである。
生まれてから60日くらい経った鶏舎を見せて頂いた。
雄と雌が半々くらいでいて、コォッコォッコォッコーととても賑やか。

雄は茶色くて、雌は真っ黒になる。
雄と雌で大きさや硬さに多少違いがあるため、解体する時期はずらしている。
解体作業は職員のお仕事。
解体後は、利用者さんの手によってもも肉の骨取り、産毛を抜く作業、焼き鳥用に串に刺したり、袋詰めなどひとつひとつ丁寧に行われる。
加工室はとても静かで黙々と作業されている姿が。

「やりがいを感じるときはありますか?」
という質問に対して
「一般の主婦では絶対に体験できないことをすることができるんです。」
「スーパーの鶏を見た時に、おいいしいかそうじゃないかが分かるようになった!」
「鶏を見る目もこえた」というお声を頂いた。
どうやって見分けるのかを教えてもらいたかったが、あまりにも一生懸命作業されていたので、
その場を離れることにした。

肉の骨を綺麗に取り除く作業は、難易度が高い。

産毛をピンセットで丁寧に抜く作業はとても根気がいる。

焼き鳥用のものを作る作業は、1日に何十本も作る。
そんな感じで一連の流れを、責任者の堀さんからして頂いた。
堀さんは福祉のプロ。
近くで利用者さんにずっと寄り添ってきてこれからもそのスタンスは変わらない。
「障がい者さんと関わる中でのやりがいはありますか?」
一瞬黙って、ゆっくりと口を開く。
「引きこもりだった人や、病院から来てとても顔色の悪かった人たちが、顔色もよくなり、
自信をつけて人間らしくなっていくのを見た時ですね~」としみじみと答えられた。
取材中、利用者さんが働いている所を回る時もフランクにお話されていて、みんなから信頼されているのが垣間見えた。
そして、私が印象に残ったことは、こんな言葉。
「障がいあるからできないのではなく、彼らにしかできないこともたくさんある。
できないことをできるようにするのではなく、
できることをどんどん伸ばして長所を伸ばしていくことが大事。
飛騨地鶏も知ってほしいけれど、それ以上に障がいのある方が頑張っているということを知ってほしいですね~」
飛騨地鶏を食べる機会があったら、
福祉のプロである職員さんと、利用者さんが一生懸命丁寧に育てられたということを思い出して頂きたい。
最後に、責任者の堀さんよりメッセージを頂戴しました。
「私たちは、安心・安全・健康をもっとうに生産に励んでいます。地元で作っている飛騨地鶏をぜひ食べてください!」
地元で作られている貴重な飛騨地鶏、ぜひ、一度お試しくださいね!!
飛騨流葉牧場の皆様、今回はお忙しい中取材にご協力頂きありがとうございました~!
(取材日 R3年 9月 27日)

流葉牧場の隅っこにあるわらべ地蔵。鶏の命を頂くため、必ず行われていて、供養と五穀豊穣、その他鶏や利用者さん、流葉牧場に関わる全ての方々の無病息災を願う祭事が毎年5月頃行われている。
飛騨流葉牧場のブログ
社会福祉法人めひの野園ホームページ
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【今回の取材で学んだこと】
私たち人間はあらゆる生物を当たり前のように食べていて、昨今ではフードロスも問題になっています。
物に溢れていて、食べ残してもなんとも思わない現代人もいる。
大量に生産して廃棄するのではなく、
貴重な命を余すことなく頂くことが大事なのではないかと私は思います。
そして、多様性を認め合うことで新たなビジネスやサービスが広がる可能性もある。
障がいのある方も健常者も助け合える世の中になっていってほしいものです。
排除する世界ではなく、お互いが認め合える世界の向こう側に、
持続可能で豊かな暮らしが待っているのかもしれません。
よりよく生きるために!!〜飛騨初のオルタナティブスクールを訪ねて〜
2021年08月07日
みなさんこんにちは~
飛騨エシカルの室です。
皆さんはオルタナティブスクールという学校を知っているだろうか?
名前こそは聞いたことがあったけれど、実際にどんな学校なのか知らなかった。
調べてみると、個人を尊重し子供が本来持っている探求心に基づいて、自律的・主体的に学習や事業が展開されるように大人が寄り添う学校とのことだった。
そして、フリースクール=オルタナティブスクールではないということ。
フリースクールは、一般的には不登校や引きこもりになった子供が昼間過ごす場所の意味合いが強いのの対し、オルタナティブスクールは、従来とは異なった運営制度、進級制度、教育科目などを置き、その理念や教育法に共感した子供が通うという意味合いがある。
ただ、学校によって理念や方針は様々。
今回、高山では初のオルタナティブスクールへ取材に。
どんな所なのかどのような理念のもと運営されているのか代表の片野さんにお伺いしてきました。
どうぞご覧ください。
**********************************************
R3.6月8日 晴れのちくもり
風スクールの片野あきこさん、一体何者なのか?
会うまでドキドキとワクワクが入り混じっていた。
チャイムを鳴らすと、素敵な女性が軽やかに私を出迎えてくれた。
風の時代の学校、風スクールという名前のオルタナティブスクール。
ネーミングセンスも素敵。
ゆったりとしたBGMのもと優しい雰囲気の中で取材は始まった
【なぜ、風スクールを作ることになったのか?】
穏やかな口調でゆっくりと話し始める片野さん

「ある日突然、雷に打たれたように
私、学校を作る!と思い立ったんです。」
そこにいきつくまでの経緯には幼少期の経験、
家族のこと、子供のこと、
自身の教員経験のことなどが幾重にも積み重なっている。
まずは、幼少期に遡る…
保育園時代、園から自宅まで自分で帰ったことがあるそうだ。
普通なら、怖くて帰れないだろう、
でも彼女はワクワクして楽しかったと、
ニコニコ笑顔で語る。
人から見ると危なっかしくて無鉄砲と思われることも、
なんとも思わなかった。
我が道を行き新しいものを自分で作るという特質を幼い頃から持っていたのかもしれない。
大学へ進み学生時代に家庭教師をした経験もあるが、ただ勉強を教えるのではなく体験させながらインプットさせていくような方法をとっていた。
生徒からは信頼されるが、
親さんからは勉強だけ教えてくれたらいいと、
すぐ辞めさせられる。。。
本当の教育とは何かを学生時代からずっと模索していた。
そして、
長年の夢だった教員となり15年間勤務するも、
自身と長女の体調不良を機に教員を退職。
その後、1日中家から出ずに食べて寝るという生活がしばらく続く。。。
そんな中、
住んでいた借家のリノベーションを機に
心の奥底に眠っていた、
我が道をいく片野さんが復活した。
ここには書ききれないほどの
とても辛い体験が重なり、
体と心を壊し
車のハンドルを切れば楽になると思ったこともあった…
でも全ての体験が彼女をより強く優しい人間へと成長させる。
片野さんは故郷である高山へ帰り、
旅先で見つけたおうちカフェの本を見て
「これだ!おうちカフェやってみよう!」となった。
高山の自宅でおうちカフェを開き、
そこで出会うお母さん達の悩みを聞く中で自然と新しい事業が始まり、それがどんどん進化して、
現在はコミュニティ運営、コンサルティング業、よりよく生きたい女性のサポートをしている。
「思いったったら即日行動」とはまさにこのことだ
すごいバイタリティー
その勢いのまま時は経ち、、、
次女が1年半学校を休んでしまった事をきっかけに、彼女自身の今までの経験を生かし
「風の時代の学校 風スクール」
の創設者となる。
風スクールは、創立されてからまだ6カ月しか経っていないできたてほやほやの学校。(取材時)
応援してくれる仲間もたくさんいて現在は17名の大人が風スクールのサポートをしている。
風スクールに通う子供たちは小学生から中学性まで全部で11名。
不登校の子や公立校と風スクール両方に通っている子など様々だ。
選択肢の1つとして、この学校を選んでほしいと片野さんは言う。
ここの学校へ見学に来る親御さんたちは、
まず子供たちの生き生きとしたエネルギッシュな姿に驚かれるという。
秘密は風スクールの理念にあるのかもしれない。
まず、この学校では先生と呼ばれる人がいない。
片野さんは元教員だけど、先生と呼ばれない。
生徒はもちろん、
スタッフや親さんから「リラリラ」と呼ばれている。
リラリラは以前やっていたおうちカフェの名前からとっていて、リラックスという意味合いもあり、呼ばれるたびに心地いい
呼ぶほうも、呼ばれるほうも心地いい音。
そして、一般的な学校では時間割が決まっているのに対し、ここは1日のスケジュールを全部自分たちで決める。
それは、小学生低学年から中学3年生までみんな同じ。
自由があるようにみえるが、
子供が自分で自分のしたいことを全部決めることは容易ではない。
すごいと思う。
そして、お昼ご飯は自分達で作る。

買い物や畑で材料を調達する事もあり、
その時々で変わる。
青空キッチンや、スクールのキッチン、村半の素敵なキッチンを使わせてもらうこともある。
子供たちの経験値が通う度にどんどん増える。
大人は何も決めない
ただただ寄り添うだけ。
カレーライスとカレーうどんを食べたい人に分かれた場合は、話し合いでどちらかに決める。
その際も大人は口出ししない。
そうすることを毎日積み重ねていくことによって、仲間との協調性が生まれたり、自分の考えや意見をしっかり言えるようになる。
でも、みんな風スクールへ来たばかりの頃は、自分に自信がなく、自分のことが嫌いと言う子がほとんだった
その背景には少なからず、今の日本の教育方針が影響しているのかもしれない。
みんなと同じことをして違うことをしたらはじかれる、限られた時間の中で答えを出さなければいけない、答えがひとつしかない、多数決で多い方が優勢になる、人の顔色を伺いながら話すなど、挙げだしたらきりがない。
風スクールの子供たちは本当にいきいきと生活している。
片野さんが大切にしているの事の1つに食べることがある。
不登校になった子は年齢が上がってくると食べることすらしない。
10時半にスクールが始まるがそれまで何も食べて来ない子もいる。
誰と何を食べるかが一番大事で、
カップラーメンだっていい。
皆で一緒に食べることで何かに繋がることもある。
食べることは生きることの基本。
ただ食べるだけではなく、
切って作って口に入って食べた後には片づけるという一連の流れを行うと全体像が見える。
全体像が見えることによって、
思いがけないことにも繋がる。
忙しいお母さんのためにオムレツを焼いた子もいる。
「お母さんいつもこんな事してるんだ~」
「ありがとう」
そんな気持ちがもしかしたら生まれたからかもしれない。
因果関係は分からないが少なからず何かはあると片野さんは思っている。
また、学校の家庭科で卵割りを失敗した子は、
それからかたくなに料理することを拒んでいた。
でも大人が横で寄り添い、
何回も練習して今では自ら卵わり名人と名乗るほどに。
一緒に繰り返し体験していくことで精神的にも肉体的にもよりよく生きる土台となる。
そして自分のことを好きになり自分の可能性に気づくことへと繋がる。
ゆったりした時間が流れているからこそできることなのかもしれない。
また、第三者だから寄り添うことができることもある。
片野さんはサポートスタッフと手を取り合い子供達にとって何が一番幸せなのかを日々模索している。
【学習はどんな感じでしているのか?】
学校を休むと本人も親も学習面などを心配するが、1年半休んだ小学生の子がたった2カ月で1年半分のことを理解したという話を聞いて
正直驚いた。
そんな短期間で頭に入るのか?
やり方を工夫するだけで子供はどんどん吸収する。
風スクールでは、学習面でも大人は寄り添いながら学習しやすい環境や体制を整える。
例えば、子供が
「ここ、どーやってやるの?」と聞くと、
大人は「どうするんだろうね~」と言う。
普通だったら、すぐ教えてしまうのをあえて教えず、ただ寄り添い子供の邪魔をしない。
そうすることによって、自分でなんとかしようという自主性が芽生えてぐんぐん身に付いていく。
答えに辿り着くまでに色んなことを考えて脳をフル回転することによって、その子の一つの経験になる。
また、風スクールは小学生から中学生までが通う一つのクラスなので、上の子が小さい子の勉強を教えてくれることもある。
子供達みんなが自主的にお互いを助け合う心も生まれる。

そして、今はオンライン学習やテキストもたくさんあるので、勉強するのには何も困らないという。
でも中には、勉強をやりたくないという子もいるし、眠たいという子もいる。
そんな時も寄り添う。
命に関わること以外は受け入れて子供たちを解放してあげる。
「普通は」とか「常識的に」という考え方からいったん手を放し、今目の前の人がどう感じているのかを感じる。
スクールにきて寝るというのを受け入れるのは正直片野さんも勇気がいることだそうだ。
眠たいのを我慢してまで勉強や活動をすることが子供たちの為になるとは思わない。
眠いという想いも受け入れて大人も子供も対等な関係をもっとうに関わっている。
寝ることを選んだ子はその後自分で起き上がることを選び、仲間と一緒に活動する子がほとんどだそうだ。
自分で気づくことによってその後の行動にもどんどん変化が出てくる。
色んな年齢がいる中で、時にはけんかだってある。
そんなときも、大人は止めない。
寄り添うだけ。
大人が管理した方が楽なのはわかっているけれど子供を仕切ることはしない。
大人はどうしても、子供を管理してしまう。
ゲームの時間、勉強時間、テストの点数で評価する、悪いことをしたら罰を与えるなど。
小さい子にさえ、〇〇したらこれはなしね!とかいちいち小さな条件を突きつける。
子育てをしていると、そんなことは日常茶飯事なのかもしれない。
現代はできることよりやってはいけない事の制限のほうが多くて、自由に発言できなかったり、大人の顔色を見て行動する子が多い。
風スクールの子供たちのようにのびのびと元気に生活するには、どうしたらいいのか?

まずは親自身が自分を信じることが大切だと片野さんは言う。
最初は、ただ寄り添うのは怖いかもしれない。
でも、子供の言葉に耳を傾けてただ寄り添ってみる、そうすることでどんどん変わる。
子供自身の自己肯定感が高まり自分のことを好きになる土台が生まれる。
自分を大切にすることは、仲間を大切にすること、そしてまわりの人達も大切にすることに繋がるのだ。
【学校へ行かないことを選んだ子へ伝えたいこと】
穏やかな優しい声で片野さんは語る。
「学校を行かないことを選んだ君は勇者だよ」
どんな自分も素敵で、大人も子供も一人ひとり違うけれどそれでいい、それがいい。
いい成績を取っていい大学に入っていい企業に就職することがいいと言われてきた時代を生きてきた大人たちが、果たして今幸せなのかと考えると本当にそうなのか。
これからは、どんどんAIの時代が加速していく。
言われたことしかできない、指示待ち、ロボット人間のような子供たちが働き口のない社会になっていくかもしれない。
そんな未来は子供達に与えたくない。
そうならないために、どんな小さなことでもやってみたい!がスタートになって、楽しいかどうかの感覚を大切にし、自分の事をどんどん好きになって一人一人が自分の可能性に気づけるような環境が必要。
風スクールのようなオルタナティブスクールは全国にたくさんある。
風スクールで、まだ卒業生が社会に出ているケースはないけれど、よそではオルタナティブスクールを卒業し社会で活躍している人がたくさんいる。
彼らは抽象度の高い学びをしているので、社会に出て人と関わる中でその学びがとても活かされているそうだ。
どうやってみんなの意見をまとめるかをスクールで日々実践してきたから、今役立っている。
楽しいことをすると、そこからどんどん夢が広がる仕組みを自然と体感している人もいる。
将来、風スクールを出た子供が社会に出る時がくる。
「その時にここでの経験が生きる力となって発揮できる時が必ず来るでしょうね~。」
と片野さんは目を細めながら優しく私に話してくれた。
【風スクールの子供達に、卒業したらどうなってほしいか?】
「本当に自分の魂が喜ぶことをしてほしい。
自分がこれやりたいんだ~、何が好きで何が嫌いか、ハッキリと見極める時間の中で、こういう仕事をしいていこうとか、
自分の良さや能力、特質、気質をいっぱい持って世に出て発揮していってほしい。
命が喜ぶ、魂が喜ぶことをやっていってほしいな。」
多様性の時代が既に始まっている。
人間はいつも対立してきた。
国と国、白人や黒人、大人や子供、学校と親、すぐ対立して正論を出そうとする。
まずは、個人の意見や想いを尊重して受け入れることから始めたら、小さな社会がかわるかもしれない。
個人を尊重するためには、自分の考えをしっかり持っていてそれが侵されないことが大前提と片野さん。
そして「よりよく生きたい!」という願いを持っている仲間だから違いにフォーカスするのではなく、例え意見が違っても
「よりよく生きたい!」という願いのもとこれからも風スクールみんなのチャレンジは続いていく……

**********************************************
こんなに素敵な想いで学校運営をされている方がいるんだと思うと本当に胸が熱くなりました。
片野さんから発せられる言葉すべてが、子供達への愛に溢れていて常時込み上げてくるものを必死にこらえて取材させて頂きました。
この取材を通して私自身、自分の夢ややりたいことをあらためて考えさせられるとてもいい経験になりました。
片野さん本当にありがとうございました~!!
こんなに素敵な想いの元、
作られた風の時代スクール
は2021年8月8日〜9月10日までクラウドファンディングを始めます!
ぜひ皆さんで応援しましょう!!
↓↓↓ (クラウドファンディング公開リンク)
https://readyfor.jp/projects/kazeschool
風の時代の学校 風スクールのブログ
↓↓
https://yurikago.hida-ch.com/
飛騨エシカルの室です。
皆さんはオルタナティブスクールという学校を知っているだろうか?
名前こそは聞いたことがあったけれど、実際にどんな学校なのか知らなかった。
調べてみると、個人を尊重し子供が本来持っている探求心に基づいて、自律的・主体的に学習や事業が展開されるように大人が寄り添う学校とのことだった。
そして、フリースクール=オルタナティブスクールではないということ。
フリースクールは、一般的には不登校や引きこもりになった子供が昼間過ごす場所の意味合いが強いのの対し、オルタナティブスクールは、従来とは異なった運営制度、進級制度、教育科目などを置き、その理念や教育法に共感した子供が通うという意味合いがある。
ただ、学校によって理念や方針は様々。
今回、高山では初のオルタナティブスクールへ取材に。
どんな所なのかどのような理念のもと運営されているのか代表の片野さんにお伺いしてきました。
どうぞご覧ください。
**********************************************
R3.6月8日 晴れのちくもり
風スクールの片野あきこさん、一体何者なのか?
会うまでドキドキとワクワクが入り混じっていた。
チャイムを鳴らすと、素敵な女性が軽やかに私を出迎えてくれた。
風の時代の学校、風スクールという名前のオルタナティブスクール。
ネーミングセンスも素敵。
ゆったりとしたBGMのもと優しい雰囲気の中で取材は始まった
【なぜ、風スクールを作ることになったのか?】
穏やかな口調でゆっくりと話し始める片野さん

「ある日突然、雷に打たれたように
私、学校を作る!と思い立ったんです。」
そこにいきつくまでの経緯には幼少期の経験、
家族のこと、子供のこと、
自身の教員経験のことなどが幾重にも積み重なっている。
まずは、幼少期に遡る…
保育園時代、園から自宅まで自分で帰ったことがあるそうだ。
普通なら、怖くて帰れないだろう、
でも彼女はワクワクして楽しかったと、
ニコニコ笑顔で語る。
人から見ると危なっかしくて無鉄砲と思われることも、
なんとも思わなかった。
我が道を行き新しいものを自分で作るという特質を幼い頃から持っていたのかもしれない。
大学へ進み学生時代に家庭教師をした経験もあるが、ただ勉強を教えるのではなく体験させながらインプットさせていくような方法をとっていた。
生徒からは信頼されるが、
親さんからは勉強だけ教えてくれたらいいと、
すぐ辞めさせられる。。。
本当の教育とは何かを学生時代からずっと模索していた。
そして、
長年の夢だった教員となり15年間勤務するも、
自身と長女の体調不良を機に教員を退職。
その後、1日中家から出ずに食べて寝るという生活がしばらく続く。。。
そんな中、
住んでいた借家のリノベーションを機に
心の奥底に眠っていた、
我が道をいく片野さんが復活した。
ここには書ききれないほどの
とても辛い体験が重なり、
体と心を壊し
車のハンドルを切れば楽になると思ったこともあった…
でも全ての体験が彼女をより強く優しい人間へと成長させる。
片野さんは故郷である高山へ帰り、
旅先で見つけたおうちカフェの本を見て
「これだ!おうちカフェやってみよう!」となった。
高山の自宅でおうちカフェを開き、
そこで出会うお母さん達の悩みを聞く中で自然と新しい事業が始まり、それがどんどん進化して、
現在はコミュニティ運営、コンサルティング業、よりよく生きたい女性のサポートをしている。
「思いったったら即日行動」とはまさにこのことだ
すごいバイタリティー
その勢いのまま時は経ち、、、
次女が1年半学校を休んでしまった事をきっかけに、彼女自身の今までの経験を生かし
「風の時代の学校 風スクール」
の創設者となる。
風スクールは、創立されてからまだ6カ月しか経っていないできたてほやほやの学校。(取材時)
応援してくれる仲間もたくさんいて現在は17名の大人が風スクールのサポートをしている。
風スクールに通う子供たちは小学生から中学性まで全部で11名。
不登校の子や公立校と風スクール両方に通っている子など様々だ。
選択肢の1つとして、この学校を選んでほしいと片野さんは言う。
ここの学校へ見学に来る親御さんたちは、
まず子供たちの生き生きとしたエネルギッシュな姿に驚かれるという。
秘密は風スクールの理念にあるのかもしれない。
まず、この学校では先生と呼ばれる人がいない。
片野さんは元教員だけど、先生と呼ばれない。
生徒はもちろん、
スタッフや親さんから「リラリラ」と呼ばれている。
リラリラは以前やっていたおうちカフェの名前からとっていて、リラックスという意味合いもあり、呼ばれるたびに心地いい
呼ぶほうも、呼ばれるほうも心地いい音。
そして、一般的な学校では時間割が決まっているのに対し、ここは1日のスケジュールを全部自分たちで決める。
それは、小学生低学年から中学3年生までみんな同じ。
自由があるようにみえるが、
子供が自分で自分のしたいことを全部決めることは容易ではない。
すごいと思う。
そして、お昼ご飯は自分達で作る。

買い物や畑で材料を調達する事もあり、
その時々で変わる。
青空キッチンや、スクールのキッチン、村半の素敵なキッチンを使わせてもらうこともある。
子供たちの経験値が通う度にどんどん増える。
大人は何も決めない
ただただ寄り添うだけ。
カレーライスとカレーうどんを食べたい人に分かれた場合は、話し合いでどちらかに決める。
その際も大人は口出ししない。
そうすることを毎日積み重ねていくことによって、仲間との協調性が生まれたり、自分の考えや意見をしっかり言えるようになる。
でも、みんな風スクールへ来たばかりの頃は、自分に自信がなく、自分のことが嫌いと言う子がほとんだった
その背景には少なからず、今の日本の教育方針が影響しているのかもしれない。
みんなと同じことをして違うことをしたらはじかれる、限られた時間の中で答えを出さなければいけない、答えがひとつしかない、多数決で多い方が優勢になる、人の顔色を伺いながら話すなど、挙げだしたらきりがない。
風スクールの子供たちは本当にいきいきと生活している。
片野さんが大切にしているの事の1つに食べることがある。
不登校になった子は年齢が上がってくると食べることすらしない。
10時半にスクールが始まるがそれまで何も食べて来ない子もいる。
誰と何を食べるかが一番大事で、
カップラーメンだっていい。
皆で一緒に食べることで何かに繋がることもある。
食べることは生きることの基本。
ただ食べるだけではなく、
切って作って口に入って食べた後には片づけるという一連の流れを行うと全体像が見える。
全体像が見えることによって、
思いがけないことにも繋がる。
忙しいお母さんのためにオムレツを焼いた子もいる。
「お母さんいつもこんな事してるんだ~」
「ありがとう」
そんな気持ちがもしかしたら生まれたからかもしれない。
因果関係は分からないが少なからず何かはあると片野さんは思っている。
また、学校の家庭科で卵割りを失敗した子は、
それからかたくなに料理することを拒んでいた。
でも大人が横で寄り添い、
何回も練習して今では自ら卵わり名人と名乗るほどに。
一緒に繰り返し体験していくことで精神的にも肉体的にもよりよく生きる土台となる。
そして自分のことを好きになり自分の可能性に気づくことへと繋がる。
ゆったりした時間が流れているからこそできることなのかもしれない。
また、第三者だから寄り添うことができることもある。
片野さんはサポートスタッフと手を取り合い子供達にとって何が一番幸せなのかを日々模索している。
【学習はどんな感じでしているのか?】
学校を休むと本人も親も学習面などを心配するが、1年半休んだ小学生の子がたった2カ月で1年半分のことを理解したという話を聞いて
正直驚いた。
そんな短期間で頭に入るのか?
やり方を工夫するだけで子供はどんどん吸収する。
風スクールでは、学習面でも大人は寄り添いながら学習しやすい環境や体制を整える。
例えば、子供が
「ここ、どーやってやるの?」と聞くと、
大人は「どうするんだろうね~」と言う。
普通だったら、すぐ教えてしまうのをあえて教えず、ただ寄り添い子供の邪魔をしない。
そうすることによって、自分でなんとかしようという自主性が芽生えてぐんぐん身に付いていく。
答えに辿り着くまでに色んなことを考えて脳をフル回転することによって、その子の一つの経験になる。
また、風スクールは小学生から中学生までが通う一つのクラスなので、上の子が小さい子の勉強を教えてくれることもある。
子供達みんなが自主的にお互いを助け合う心も生まれる。

そして、今はオンライン学習やテキストもたくさんあるので、勉強するのには何も困らないという。
でも中には、勉強をやりたくないという子もいるし、眠たいという子もいる。
そんな時も寄り添う。
命に関わること以外は受け入れて子供たちを解放してあげる。
「普通は」とか「常識的に」という考え方からいったん手を放し、今目の前の人がどう感じているのかを感じる。
スクールにきて寝るというのを受け入れるのは正直片野さんも勇気がいることだそうだ。
眠たいのを我慢してまで勉強や活動をすることが子供たちの為になるとは思わない。
眠いという想いも受け入れて大人も子供も対等な関係をもっとうに関わっている。
寝ることを選んだ子はその後自分で起き上がることを選び、仲間と一緒に活動する子がほとんどだそうだ。
自分で気づくことによってその後の行動にもどんどん変化が出てくる。
色んな年齢がいる中で、時にはけんかだってある。
そんなときも、大人は止めない。
寄り添うだけ。
大人が管理した方が楽なのはわかっているけれど子供を仕切ることはしない。
大人はどうしても、子供を管理してしまう。
ゲームの時間、勉強時間、テストの点数で評価する、悪いことをしたら罰を与えるなど。
小さい子にさえ、〇〇したらこれはなしね!とかいちいち小さな条件を突きつける。
子育てをしていると、そんなことは日常茶飯事なのかもしれない。
現代はできることよりやってはいけない事の制限のほうが多くて、自由に発言できなかったり、大人の顔色を見て行動する子が多い。
風スクールの子供たちのようにのびのびと元気に生活するには、どうしたらいいのか?

まずは親自身が自分を信じることが大切だと片野さんは言う。
最初は、ただ寄り添うのは怖いかもしれない。
でも、子供の言葉に耳を傾けてただ寄り添ってみる、そうすることでどんどん変わる。
子供自身の自己肯定感が高まり自分のことを好きになる土台が生まれる。
自分を大切にすることは、仲間を大切にすること、そしてまわりの人達も大切にすることに繋がるのだ。
【学校へ行かないことを選んだ子へ伝えたいこと】
穏やかな優しい声で片野さんは語る。
「学校を行かないことを選んだ君は勇者だよ」
どんな自分も素敵で、大人も子供も一人ひとり違うけれどそれでいい、それがいい。
いい成績を取っていい大学に入っていい企業に就職することがいいと言われてきた時代を生きてきた大人たちが、果たして今幸せなのかと考えると本当にそうなのか。
これからは、どんどんAIの時代が加速していく。
言われたことしかできない、指示待ち、ロボット人間のような子供たちが働き口のない社会になっていくかもしれない。
そんな未来は子供達に与えたくない。
そうならないために、どんな小さなことでもやってみたい!がスタートになって、楽しいかどうかの感覚を大切にし、自分の事をどんどん好きになって一人一人が自分の可能性に気づけるような環境が必要。
風スクールのようなオルタナティブスクールは全国にたくさんある。
風スクールで、まだ卒業生が社会に出ているケースはないけれど、よそではオルタナティブスクールを卒業し社会で活躍している人がたくさんいる。
彼らは抽象度の高い学びをしているので、社会に出て人と関わる中でその学びがとても活かされているそうだ。
どうやってみんなの意見をまとめるかをスクールで日々実践してきたから、今役立っている。
楽しいことをすると、そこからどんどん夢が広がる仕組みを自然と体感している人もいる。
将来、風スクールを出た子供が社会に出る時がくる。
「その時にここでの経験が生きる力となって発揮できる時が必ず来るでしょうね~。」
と片野さんは目を細めながら優しく私に話してくれた。
【風スクールの子供達に、卒業したらどうなってほしいか?】
「本当に自分の魂が喜ぶことをしてほしい。
自分がこれやりたいんだ~、何が好きで何が嫌いか、ハッキリと見極める時間の中で、こういう仕事をしいていこうとか、
自分の良さや能力、特質、気質をいっぱい持って世に出て発揮していってほしい。
命が喜ぶ、魂が喜ぶことをやっていってほしいな。」
多様性の時代が既に始まっている。
人間はいつも対立してきた。
国と国、白人や黒人、大人や子供、学校と親、すぐ対立して正論を出そうとする。
まずは、個人の意見や想いを尊重して受け入れることから始めたら、小さな社会がかわるかもしれない。
個人を尊重するためには、自分の考えをしっかり持っていてそれが侵されないことが大前提と片野さん。
そして「よりよく生きたい!」という願いを持っている仲間だから違いにフォーカスするのではなく、例え意見が違っても
「よりよく生きたい!」という願いのもとこれからも風スクールみんなのチャレンジは続いていく……

**********************************************
こんなに素敵な想いで学校運営をされている方がいるんだと思うと本当に胸が熱くなりました。
片野さんから発せられる言葉すべてが、子供達への愛に溢れていて常時込み上げてくるものを必死にこらえて取材させて頂きました。
この取材を通して私自身、自分の夢ややりたいことをあらためて考えさせられるとてもいい経験になりました。
片野さん本当にありがとうございました~!!
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〜ひとりひとりの始まりの場所になりたい〜あんぱーくさんを訪ねて
2021年05月16日
皆さんこんにちは〜
飛騨エシカルの室です。
今回私は、子育て中のお母さんや子供たちの救世主となるような方にお会いしました。
どうぞご覧ください!
**************************************
令和3年 5月7日㈮ くもり
今、日本では、未婚化や晩婚化が進み結婚を取り巻く変化に加え、結婚した夫婦が持つ子供の数も減ってきている。
その背景として、子育てと両立しやすい仕事が少なかったり、お金や育児への不安感、核家族化が進み、かつては家族や地域の人から
得られていた知恵や支援が受けられにくいという孤立した育児なども原因としてあるのではないだろうか。
**************************************
今回取材した、バランスボールのインストラクター、岡野杏理さんも育児でとても辛い経験をした過去がある。
そんな彼女が、今は育児中のお母さんや、子供、高齢者にバランスボールで誰でもできる簡単な体づくりを教えながら、ひとりひとりがわくわくできる場所だったり何かのきっかけの場所になってほしいと活動している。
杏理さんは2013年に、大阪から旦那さんの出身地である高山に移住してきた。
右も左も分からない、誰も知らない土地での生活。
思ってた以上に大自然に囲まれている高山は都会の便利さとはかけ離れていた。
夜になると真っ暗で何もない町。
ご主人は仕事で帰りが遅い。
可愛いはずの我が子なのに、一緒に泣く日々。
そしてついに身も心もボロボロに・・・
そんな時に、高山市の子育て支援センターに出会った。
毎日通うようになってから友達もできて閉ざされていた心がだんだんとほどけていった。
引きこもり生活から外へ出るようになり地域の人たちとの繋がりも増え以前の元気さを取り戻し順調に回復していった。
「今思えば産後鬱のような状態だったかも、でも本当にまわりの人たちに救われました。」
2人目を出産して、産後ケアのイベントに行きバランスボールと運命の出会い。

赤ちゃんを抱っこしながら出来て、室内で気軽に行える有酸素運動。
ポーンポーンと弾んでいるだけで心地よく、骨盤も整い、ついでに我が子とのコミュニケーションにもなる。
「弾んでいるとラクになる。嫌なことがあってもなんか忘れるんですよね~。」
弾むだけで、体も心も整う!なんて素敵な運動なんだろう。
杏理さんは子育ての傍ら必死に勉強して講習会にも参加し、2020年の1月に一般社団法人体力メンテナンス協会バランスボールインストラクターの資格を取得。
バランスボール講座のアシスタントなどを努めながら準備をし、去年の6月から本格的に活動を開始。

彼女をそこまで動かしたのはなぜか?
1人目出産で産後鬱状態になり苦しんでいた毎日から救ってくれた、高山市の子育て支援センターや友達、そして地域の人、全部ひっくるめて高山市に恩返しがしたい、そんな風にいつしか思うようになった。
「自分が苦しんでいた時に手を差し伸べてもらった、今度は私が手を差し伸べてあげる存在になりたい。」
育児ノイローゼになるお母さん。
コロナ渦でただでさえ外に出られずどうしても孤立してしまう子育て真っ最中のお母さん。
自分を責めてしまうお母さん。
我慢我慢の連続で、限界のお母さん。
そんなお母さん達に伝えたいことは?
「大丈夫だよ。休んでもいいんだよ。ただそれだけですね~。」と杏理さん。
その言葉を聞いたとき、目頭がぶわっと熱くなった。
子育て中に、こんな事を言ってくれる人がいたら、どんなに救われるか。
家にじっと引きこもって、孤立しているお母さんには是非彼女に出会ってほしい。
杏理さんが高山へきて最初に就職したのは介護のお仕事。
現在も職場の理解があり、介護の仕事とバランスボールのインストラクターをこなしている。
介護経験を活かして、高齢者の方たちのご自宅へも訪問し簡単な体づくりを教えている。
そして最近では、高山市にある「風の時代の学校」の生徒さんにもバランスボールを通して体の造りを教えたり、体力づくりをサポートしている。
この学校はオルタナティブスクールという高山には珍しい学校で、一つの選択肢として選ぶことができる希望溢れる学校。
「とっても素敵な学校で、代表の方も本当に素敵な方で吸い込まれるようにお手伝いすることになったんです。」
「子供達には、学校や家だけの世界ではない。面白い大人はたくさんいるよ~と伝えたい。
自分を大切にして!泣いたっていい。私も一緒に泣くし。」
そんな風に言ってくれる大人が近くにいたらどんなに救われるか。

学生時代の経験、高山に移住してからの事、全てが今に繋がっている。
そして杏理さんのまわりのは、彼女の活動を応援してくれるたくさんの人達がいる。
家族、友達、職場の方、学校の子供達や先生、レッスンで出会うお母さんや高齢者の方々。
「本当に出会う人すべてがありがたい。子供達からはいつも教えてもらうことが多くて。
人生の大先輩にも、温かい言葉を掛けて頂いたり、本当に日々感謝しかないですね~。」
と、ゆっくり丁寧な口調。
バランスボールのインストラクターと聞くと、筋肉質でハキハキとしたイメージを思い浮かべる方が多いかもしれないが彼女は違った。
とても優しいおっとりした口調でふんわり包み込んでくれるような雰囲気。
話すだけで安心感がある。
あんぱーくのロゴにもそれが表れているような気がする。

このロゴは高山市在住の方がデザイン。
よく見るとアルファベット小文字のaなのだ。
そして、ロゴの中にある顔は、女の子でも男の子でもない。
「ひとりひとり」という意味がある。
あんぱーくのあんは杏理さんの名前からとり、ぱーくは場所という意味をこめて作った。
ひとりひとりの何かのきっかけとなる場所となってほしい、シンプルなロゴの裏にはこんなに熱い想いがある。
きっとこれからも、たくさんの人に出会い元気と安心感を与えるそんな場所になっていくことでしょう。

とっても素敵な笑顔!!旦那さんやお子さんも杏理さんの活動をみんな応援してくれている。
**************************************
杏理さん、お忙しい中取材のご協力ありがとうございました。
目頭が熱くなるお話ばかりでした、素敵なお話をありがとうございました~!!
あんぱーく Instagram↓
https://instagram.com/anpark_tree?igshid=xllj79hvhtp9
一般社団法人体力メンテナンス協会認定バランスボールインストラクター
取得資格
・バランスボールインストラクター
・体力指導士
・産後指導士
・キッズバランスボールインストラクター
飛騨エシカルの室です。
今回私は、子育て中のお母さんや子供たちの救世主となるような方にお会いしました。
どうぞご覧ください!
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令和3年 5月7日㈮ くもり
今、日本では、未婚化や晩婚化が進み結婚を取り巻く変化に加え、結婚した夫婦が持つ子供の数も減ってきている。
その背景として、子育てと両立しやすい仕事が少なかったり、お金や育児への不安感、核家族化が進み、かつては家族や地域の人から
得られていた知恵や支援が受けられにくいという孤立した育児なども原因としてあるのではないだろうか。
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今回取材した、バランスボールのインストラクター、岡野杏理さんも育児でとても辛い経験をした過去がある。
そんな彼女が、今は育児中のお母さんや、子供、高齢者にバランスボールで誰でもできる簡単な体づくりを教えながら、ひとりひとりがわくわくできる場所だったり何かのきっかけの場所になってほしいと活動している。
杏理さんは2013年に、大阪から旦那さんの出身地である高山に移住してきた。
右も左も分からない、誰も知らない土地での生活。
思ってた以上に大自然に囲まれている高山は都会の便利さとはかけ離れていた。
夜になると真っ暗で何もない町。
ご主人は仕事で帰りが遅い。
可愛いはずの我が子なのに、一緒に泣く日々。
そしてついに身も心もボロボロに・・・
そんな時に、高山市の子育て支援センターに出会った。
毎日通うようになってから友達もできて閉ざされていた心がだんだんとほどけていった。
引きこもり生活から外へ出るようになり地域の人たちとの繋がりも増え以前の元気さを取り戻し順調に回復していった。
「今思えば産後鬱のような状態だったかも、でも本当にまわりの人たちに救われました。」
2人目を出産して、産後ケアのイベントに行きバランスボールと運命の出会い。

赤ちゃんを抱っこしながら出来て、室内で気軽に行える有酸素運動。
ポーンポーンと弾んでいるだけで心地よく、骨盤も整い、ついでに我が子とのコミュニケーションにもなる。
「弾んでいるとラクになる。嫌なことがあってもなんか忘れるんですよね~。」
弾むだけで、体も心も整う!なんて素敵な運動なんだろう。
杏理さんは子育ての傍ら必死に勉強して講習会にも参加し、2020年の1月に一般社団法人体力メンテナンス協会バランスボールインストラクターの資格を取得。
バランスボール講座のアシスタントなどを努めながら準備をし、去年の6月から本格的に活動を開始。

彼女をそこまで動かしたのはなぜか?
1人目出産で産後鬱状態になり苦しんでいた毎日から救ってくれた、高山市の子育て支援センターや友達、そして地域の人、全部ひっくるめて高山市に恩返しがしたい、そんな風にいつしか思うようになった。
「自分が苦しんでいた時に手を差し伸べてもらった、今度は私が手を差し伸べてあげる存在になりたい。」
育児ノイローゼになるお母さん。
コロナ渦でただでさえ外に出られずどうしても孤立してしまう子育て真っ最中のお母さん。
自分を責めてしまうお母さん。
我慢我慢の連続で、限界のお母さん。
そんなお母さん達に伝えたいことは?
「大丈夫だよ。休んでもいいんだよ。ただそれだけですね~。」と杏理さん。
その言葉を聞いたとき、目頭がぶわっと熱くなった。
子育て中に、こんな事を言ってくれる人がいたら、どんなに救われるか。
家にじっと引きこもって、孤立しているお母さんには是非彼女に出会ってほしい。
杏理さんが高山へきて最初に就職したのは介護のお仕事。
現在も職場の理解があり、介護の仕事とバランスボールのインストラクターをこなしている。
介護経験を活かして、高齢者の方たちのご自宅へも訪問し簡単な体づくりを教えている。
そして最近では、高山市にある「風の時代の学校」の生徒さんにもバランスボールを通して体の造りを教えたり、体力づくりをサポートしている。
この学校はオルタナティブスクールという高山には珍しい学校で、一つの選択肢として選ぶことができる希望溢れる学校。
「とっても素敵な学校で、代表の方も本当に素敵な方で吸い込まれるようにお手伝いすることになったんです。」
「子供達には、学校や家だけの世界ではない。面白い大人はたくさんいるよ~と伝えたい。
自分を大切にして!泣いたっていい。私も一緒に泣くし。」
そんな風に言ってくれる大人が近くにいたらどんなに救われるか。

学生時代の経験、高山に移住してからの事、全てが今に繋がっている。
そして杏理さんのまわりのは、彼女の活動を応援してくれるたくさんの人達がいる。
家族、友達、職場の方、学校の子供達や先生、レッスンで出会うお母さんや高齢者の方々。
「本当に出会う人すべてがありがたい。子供達からはいつも教えてもらうことが多くて。
人生の大先輩にも、温かい言葉を掛けて頂いたり、本当に日々感謝しかないですね~。」
と、ゆっくり丁寧な口調。
バランスボールのインストラクターと聞くと、筋肉質でハキハキとしたイメージを思い浮かべる方が多いかもしれないが彼女は違った。
とても優しいおっとりした口調でふんわり包み込んでくれるような雰囲気。
話すだけで安心感がある。
あんぱーくのロゴにもそれが表れているような気がする。

このロゴは高山市在住の方がデザイン。
よく見るとアルファベット小文字のaなのだ。
そして、ロゴの中にある顔は、女の子でも男の子でもない。
「ひとりひとり」という意味がある。
あんぱーくのあんは杏理さんの名前からとり、ぱーくは場所という意味をこめて作った。
ひとりひとりの何かのきっかけとなる場所となってほしい、シンプルなロゴの裏にはこんなに熱い想いがある。
きっとこれからも、たくさんの人に出会い元気と安心感を与えるそんな場所になっていくことでしょう。

とっても素敵な笑顔!!旦那さんやお子さんも杏理さんの活動をみんな応援してくれている。
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杏理さん、お忙しい中取材のご協力ありがとうございました。
目頭が熱くなるお話ばかりでした、素敵なお話をありがとうございました~!!
あんぱーく Instagram↓
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一般社団法人体力メンテナンス協会認定バランスボールインストラクター
取得資格
・バランスボールインストラクター
・体力指導士
・産後指導士
・キッズバランスボールインストラクター
食卓に笑顔を贈り続けて66年〜東春慶漆器店〜
2021年05月08日
皆さんこんにちは〜
飛騨エシカルの室です。
今回は、高山市匠ヶ丘に工場を構える東春慶漆器店さんへ行ってきました。
どうぞご覧ください。
********************************************************
令和3年 4月26日(月)天気 くもりのち晴れ
今回、ご主人はお忙しいという事で奥さんのめぐみさんがお話しをしてくださりました。
創業68年、現在3代目の東寿雄さんが代表を務めている。
創業から主に箸を作り、木地から箸を作っているのは今も昔も、飛騨高山ではここだけ。
3代目は箸だけじゃなく機械にも詳しい。
「加工で使う機械も自分で作ったり、なんでも作ってくれるんですよ~」とめぐみさん。
驚いたのが、木を削り形を作り、塗りの作業など全てをご主人が一環して行うということ。
昔ながらのやり方と最先端を融合させて色んな箸を作り続けるオールマイティな職人さんなのだ。
2代目として先代から引き継いだ寿雄さんのお父様、東さんご夫妻、パートさんも含め現在6名で工場を回している。
そんな東春慶漆器店にもコロナが暗雲をもたらした。
お土産用に卸していた箸の売れ行きが低迷してしまった。
そんな時に、地元金融機関である高山信用金庫よりクラウドファンディングの提案を受け挑戦することに。
第一弾では、飛騨春慶のバター入れ、バターナイフ、パン皿などの「飛騨春慶朝食シリーズ」を試行錯誤の上完成。

1~2日で目標をクリアして大成功に終わった。
和と洋がミックスされた今までにない素敵な作品達。
そして、注目の第二弾は、飛騨のスギを利用した飛騨杉腕。

お椀はめぐみさんの実家がある国府町三川の山で間伐したスギの木がきっかけに。
スギの木を薪木用に切ったが、燃やすには勿体なくてお椀でも作ってみるか?というところから始まった。
何気ない日常から、生まれた作品がクラウドファンディング第一弾を上回る勢いであっという間に目標達成!
しかし、スギの木は木目の間が柔らかく木目の上は硬くてしっかり切れる刃じゃないと加工ができない上に、丸く綺麗な形を作るのが至難の技。
擦り漆という手法で杉の木目がとても美しく1つとして同じものはない。
実際に手に取ってみるととても馴染みやすく、これでお味噌汁やごはんを食べたら美味しそうだなぁというわくわく感がある。

自然光で美しく光る漆器たち
美しいお椀の裏では、絶え間ない寿雄さんの苦労や探求心、めぐみさんやスタッフの支えがあったのだろう。
クラウドファンディングを通して伝えたいことは?
「第1弾の時は、コロナで売り上げが低迷して自分たちが優先だった。でも、今回は、自分たちのことを知ってほしいという想いは大前提としてあるけれど、もうひとつの想いがあるんです。」
その想いとは…
皆さんご存知の通り、飛騨は山に囲まれていて土地に対する森の割合、森林率が9割を超える。

東春慶漆器店から見える美しい景色
そして国土の約66%は森林で世界有数の森林大国である日本。
日本は資源の少ない国とよく言われているが、森林資源については乏しいわけではなく、実は使われずにいるという現状もあるのだ。
それは輸入木材の方が安いから海外の木材に頼っていたり、林業業界の後継者不足問題などの背景もある。
高山市の山も手つかずの山は多い。
戦後日本には、たくさんの樹木が植えられた。
スギは成長が早く、伐採→再造林→伐採という森林サイクルを続けやすいといわれているが伐採の時期を迎えても格安の輸入木材に勝てないため伐採されずに残ったままの木が多い。
そして採算割れから手入れが行き届かなくて、間伐も充分に行えないため、成長が悪く根を張れないスギが多い。
そんな状態が今、日本中のあちこちで起きている。
間伐せずに未熟な木が生い茂る森は土砂崩れなどの災害をもたらす要因のひとつにもなっていて深刻化している。
1度でも人間が手を入れた山は、ちゃんと手入れをしなきゃいけない。
「飛騨のスギを使ったお椀が、少しでも森のことを考えるきっかけになってほしい。」

「ただ森の大切さを伝えても伝わらない。物を通してのストーリーを伝えることで初めて私たちの考え方や想いが伝わると思っているんです。」
「何か新しいものを買う時に、これはどこで誰がどんな風に作ったのかなどを想像することが物を大切にするきっかけにもなんるんじゃないかなと思う。」
とめぐみさんは言葉をゆっくり選びながら私に丁寧に教えてくれた。
物がありふれた時代だからこそ、伝えていきたい想いがある。
物の大切さとその物に吹き込まれた職人の魂も感じられる、感動できる東春慶漆器店の箸や漆器たち。

祖父の想いが詰まった仕事場は木の香りが充満している。
これからも時代を超えて多くの食卓に笑顔をもたらすことでしょう!

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今回は、森に対しての見方が変わるとてもいい取材になりました。
国産いちいの木で旦那さんが作られた箸を家族分買って帰りました。

とても使い心地がよくご飯が美味しく感じます。
どこで誰が作っているのか、この商品にはどんなストーリーがあるのかを知ると愛着がわきます。
東さんどうもありがとうございました!!
飛騨杉椀のクラウドファンディング、締め切りは令和3年の5月18日です。
気になる方は、下記サイトよりチェックしてみてください。
ホームページ(店舗情報・オンラインショップ)
https://www.keishichirou.com/
「飛騨杉椀」クラウドファンディングページ
https://www.makuake.com/project/hidasugiurushi_owan/
最新情報やフェイスブックはこちら!
箸や慶七郎店楽天市場店
https://www.rakuten.co.jp/keishichirou/
飛騨エシカルの室です。
今回は、高山市匠ヶ丘に工場を構える東春慶漆器店さんへ行ってきました。
どうぞご覧ください。
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令和3年 4月26日(月)天気 くもりのち晴れ
今回、ご主人はお忙しいという事で奥さんのめぐみさんがお話しをしてくださりました。
創業68年、現在3代目の東寿雄さんが代表を務めている。
創業から主に箸を作り、木地から箸を作っているのは今も昔も、飛騨高山ではここだけ。
3代目は箸だけじゃなく機械にも詳しい。
「加工で使う機械も自分で作ったり、なんでも作ってくれるんですよ~」とめぐみさん。
驚いたのが、木を削り形を作り、塗りの作業など全てをご主人が一環して行うということ。
昔ながらのやり方と最先端を融合させて色んな箸を作り続けるオールマイティな職人さんなのだ。
2代目として先代から引き継いだ寿雄さんのお父様、東さんご夫妻、パートさんも含め現在6名で工場を回している。
そんな東春慶漆器店にもコロナが暗雲をもたらした。
お土産用に卸していた箸の売れ行きが低迷してしまった。
そんな時に、地元金融機関である高山信用金庫よりクラウドファンディングの提案を受け挑戦することに。
第一弾では、飛騨春慶のバター入れ、バターナイフ、パン皿などの「飛騨春慶朝食シリーズ」を試行錯誤の上完成。

1~2日で目標をクリアして大成功に終わった。
和と洋がミックスされた今までにない素敵な作品達。
そして、注目の第二弾は、飛騨のスギを利用した飛騨杉腕。

お椀はめぐみさんの実家がある国府町三川の山で間伐したスギの木がきっかけに。
スギの木を薪木用に切ったが、燃やすには勿体なくてお椀でも作ってみるか?というところから始まった。
何気ない日常から、生まれた作品がクラウドファンディング第一弾を上回る勢いであっという間に目標達成!
しかし、スギの木は木目の間が柔らかく木目の上は硬くてしっかり切れる刃じゃないと加工ができない上に、丸く綺麗な形を作るのが至難の技。
擦り漆という手法で杉の木目がとても美しく1つとして同じものはない。
実際に手に取ってみるととても馴染みやすく、これでお味噌汁やごはんを食べたら美味しそうだなぁというわくわく感がある。

自然光で美しく光る漆器たち
美しいお椀の裏では、絶え間ない寿雄さんの苦労や探求心、めぐみさんやスタッフの支えがあったのだろう。
クラウドファンディングを通して伝えたいことは?
「第1弾の時は、コロナで売り上げが低迷して自分たちが優先だった。でも、今回は、自分たちのことを知ってほしいという想いは大前提としてあるけれど、もうひとつの想いがあるんです。」
その想いとは…
皆さんご存知の通り、飛騨は山に囲まれていて土地に対する森の割合、森林率が9割を超える。

東春慶漆器店から見える美しい景色
そして国土の約66%は森林で世界有数の森林大国である日本。
日本は資源の少ない国とよく言われているが、森林資源については乏しいわけではなく、実は使われずにいるという現状もあるのだ。
それは輸入木材の方が安いから海外の木材に頼っていたり、林業業界の後継者不足問題などの背景もある。
高山市の山も手つかずの山は多い。
戦後日本には、たくさんの樹木が植えられた。
スギは成長が早く、伐採→再造林→伐採という森林サイクルを続けやすいといわれているが伐採の時期を迎えても格安の輸入木材に勝てないため伐採されずに残ったままの木が多い。
そして採算割れから手入れが行き届かなくて、間伐も充分に行えないため、成長が悪く根を張れないスギが多い。
そんな状態が今、日本中のあちこちで起きている。
間伐せずに未熟な木が生い茂る森は土砂崩れなどの災害をもたらす要因のひとつにもなっていて深刻化している。
1度でも人間が手を入れた山は、ちゃんと手入れをしなきゃいけない。
「飛騨のスギを使ったお椀が、少しでも森のことを考えるきっかけになってほしい。」

「ただ森の大切さを伝えても伝わらない。物を通してのストーリーを伝えることで初めて私たちの考え方や想いが伝わると思っているんです。」
「何か新しいものを買う時に、これはどこで誰がどんな風に作ったのかなどを想像することが物を大切にするきっかけにもなんるんじゃないかなと思う。」
とめぐみさんは言葉をゆっくり選びながら私に丁寧に教えてくれた。
物がありふれた時代だからこそ、伝えていきたい想いがある。
物の大切さとその物に吹き込まれた職人の魂も感じられる、感動できる東春慶漆器店の箸や漆器たち。

祖父の想いが詰まった仕事場は木の香りが充満している。
これからも時代を超えて多くの食卓に笑顔をもたらすことでしょう!

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今回は、森に対しての見方が変わるとてもいい取材になりました。
国産いちいの木で旦那さんが作られた箸を家族分買って帰りました。

とても使い心地がよくご飯が美味しく感じます。
どこで誰が作っているのか、この商品にはどんなストーリーがあるのかを知ると愛着がわきます。
東さんどうもありがとうございました!!
飛騨杉椀のクラウドファンディング、締め切りは令和3年の5月18日です。
気になる方は、下記サイトよりチェックしてみてください。
ホームページ(店舗情報・オンラインショップ)
https://www.keishichirou.com/
「飛騨杉椀」クラウドファンディングページ
https://www.makuake.com/project/hidasugiurushi_owan/
最新情報やフェイスブックはこちら!
箸や慶七郎店楽天市場店
https://www.rakuten.co.jp/keishichirou/
どんな自分もわたし!~野中提灯~
2021年04月17日
みなさんこんにちは~
飛騨エシカルの室です。
今回は飛騨市の中心地飛騨市古川町向町へ取材に行って参りました。
どうぞご覧ください。
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令和3年 4月13日㈫ 天気 くもりのち雨
「私ねやりたいことがあくさんありすぎるの(笑)」
提灯のお話から、手作り草履やインカ帝国の話まで色んなお話を聞かせて下さった楽しい取材のはじまり。
快く引き受けて下さったのは提灯職人の野中早織さん。

神岡出身の野中さんは、飛騨古川に嫁いで22回目の春を迎える。
元々は、建築関係の仕事をしていたが、10年前に途絶えてしまった、伝統工芸の古川提灯に興味を持ち2017年に、飛騨市で代々続いてきた
「白井提灯」最後の職人、数川寛子氏の指導の下、修業を続け独立を志した。
週2回、師匠を野中さんの作業所まで送迎し習い続けること2年。
飛騨市の「郷土工芸品産業技術後継者育成事業」プロジェクトの応援もありながら、見事に伝統技術を習得し現在に至る。
独立してからは、今年の4月1日でまるっと1年、2年目に入る。
コロナ渦ということもあり祭りがない為、今はそんなに忙しくない。
それでも修理を待つ提灯達がいくつかぶらさげてあった。
一言に提灯といっても色々なサイズ、形、柄、文字がある。
地域や家柄によって文字や模様も多種多様。

飾らない家も増えてきたが、古川祭りや町内の祭りで多く使用されるのがナツメ型の提灯。

組み立てから、和紙を張る作業、文字を入れまでの作業など全部で10工程ほどを全部一人で行う。
3~4個をまとめて作り約20日間ほどで出来上がる。
使われている部品や材料の1つ1つにもこだわりがたくさん詰まっている。
提灯の上下についた黒いわっかを重化という。

重化は山桜の木を丸く曲げて作る。

現在、職人さんんがほとんどいない。
高山市の桜山にいる曲げわっぱ専門の職人さんに頼んで特別作ってもらっている。
つなぎ目の部分は桜の皮で編み込んであり、ボンドでくっつけてしまえば楽な箇所をあえて小さな木の杭で打ち付けてあったりと細部まで職人のこだわりが詰まっている。

そして黒く塗る作業は高山の仏壇店に野中さん本人が交渉し塗ってもらっている。
提灯に張られる和紙は飛騨市河合町で作られているこれまた、伝統工芸品の山中和紙。
提灯を支える大事な骨組みの竹ひごは、材料の入手が困難になっていてネットで散々探し、やっと見つけたところが廃業し、また見つけたところは太さが違うので自分で細くしたりと手間がかかっている。
1つ1つのどれが欠けても、完成しない究極の伝統工芸品が野中提灯なのだ。
野中さんは、竹ひごの組み立て方がとても難しくてどうやったらうまくいくのか知りたくて、提灯を専門で作っている所に直接電話をして、
作り方のコツなどを聞いたりもした。
「便利なものがあってね~くるくる巻き付けたら簡単にできるのよ~」と言ってくる人もいたが、
(私が知りたいのはそこじゃない・・・)と野中さんは思い何件も電話をかけた。
1件だけ野中さんと同じように竹ひごで1本がけをして作っている所が福井県にあった。
福井は学生時代にバイクのツーリングで何度も訪れた場所だったので、すぐに分かった。
そこの提灯屋さんに何度か行って竹ひごのコツなどを教えてもらい今でも交流は続いている。

これは東海テレビが取材に来た時に説明で使用した竹ひごを巻いている途中のもの
職人の世界は独立して終わりではない。
一生勉強し続ける者こそが、生き残る世界なのかもしれない。
でも、時代が進むにつれて提灯の作り方を変えている所もたくさんあるようだ。
「どんなに楽な方法で作ることができても、師匠から教えてもらったやり方はずっと変えることはない。
便利さを優先して代々続くやり方を絶やしたら継承した意味がない。
もし習いたいという人が来たら、私はまた同じやり方で教えて道具もすべて預かっているのでそれをまた引き継ぐだけ。
私で終わりではなくてずっと続いてほしい。」

師匠からそのまま引き継いだ道具の数々、どれも年季が入っている
元々物作りが大好きで、ちょっとやってみようかなという気持ちでやり始めた提灯作り。
でも、いざ足を踏み入れたらとても楽しくてもっともっと深く学びたくなった。
そして、独立した今も尚、貪欲に学び続けている。
基本的に休みはない。
昼間は、りんご園の仕事をご主人とやっている。
間引きや袋詰めなどはパートさんも一緒にやったり、最近では9月頃からりんご飴の販売もしていてとても忙しいようだ。

袈裟丸りんご園で採れたりんごで作ったりんご飴
りんご飴以外にも新商品が今後出るかもしれないとのこと。
そして、2級建築士の資格保持者である野中さん。
図面依頼なども仕事の合間にこなしている。
伝統工芸の継承者であること自体がすごいのに、何足もわらじを履いているので、話を聞けば聞くほど野中さんって何者なんだろうという思いが私の中で湧き上がってきた。
そこで、最後に2つ質問をしてみた。
(どれが本当の野中さんなんですか?)
そうすると、さらっとこんな応えが。。。
「どれもあたし!何をやっても楽しいの~♪りんご園も提灯作るときも、手芸とか家族とわぁわぁ言っとる時も、1人で好きなことしとる時も楽しい!」
(伝統工芸がこれからどんどん衰退していく中で、逆にそういったものへ関心も深まりつつありますが、これから継承しようとする若者たちへ何かアドババイスはありますか?)
「継がならんって思うとプレッシャーになるけど、興味があることがあったら、色々チャレンジしてみるといい。
絶やさんようにっていう想いは根底にあるけど、楽しむことが1番!!楽しくないと続かんでな~」
興味があることを色々やっていたらこうなっていたとう野中さんはとても自然体で生き生きとしていた。
春になると桜が咲き荒城川が見える野中提灯の作業場。
古川祭りの時には提灯が灯り神様が通る道となる。
取材の日には、ゆらゆらと落ちる桜の花びらがとても綺麗だった。

作業場から見える景色は、季節の移ろいも楽しむことができる
最高の場所で、提灯を作り続け趣味の手芸もする。
野中さんには、これからもやりたいことがいっぱいある。
野中提灯の作業場は、宝箱のようにこれからも野中さんの好きなものがどんどん作られていく場所になるだろう!
(完)
*********************************************************
「生きている限り死ぬまで提灯は作らならんな~」
最後の最後にそう応えてくれた野中さんの言葉には、伝統工芸を引き継いだ者の責任と強い意志が感じられ柔らかい雰囲気で始まった取材がいい意味で引き締まり私も一人の人間として生きていく意味と責任感みたいなものを考えさせられる取材でした。
野中さん!!
改めまして取材のご協力ありがとうございました~!!

野中提灯と袈裟丸りんご園のインスタグラム
https://instagram.com/kesamaru_apple?igshid=1ienceoxnbsz
飛騨エシカルの室です。
今回は飛騨市の中心地飛騨市古川町向町へ取材に行って参りました。
どうぞご覧ください。
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令和3年 4月13日㈫ 天気 くもりのち雨
「私ねやりたいことがあくさんありすぎるの(笑)」
提灯のお話から、手作り草履やインカ帝国の話まで色んなお話を聞かせて下さった楽しい取材のはじまり。
快く引き受けて下さったのは提灯職人の野中早織さん。

神岡出身の野中さんは、飛騨古川に嫁いで22回目の春を迎える。
元々は、建築関係の仕事をしていたが、10年前に途絶えてしまった、伝統工芸の古川提灯に興味を持ち2017年に、飛騨市で代々続いてきた
「白井提灯」最後の職人、数川寛子氏の指導の下、修業を続け独立を志した。
週2回、師匠を野中さんの作業所まで送迎し習い続けること2年。
飛騨市の「郷土工芸品産業技術後継者育成事業」プロジェクトの応援もありながら、見事に伝統技術を習得し現在に至る。
独立してからは、今年の4月1日でまるっと1年、2年目に入る。
コロナ渦ということもあり祭りがない為、今はそんなに忙しくない。
それでも修理を待つ提灯達がいくつかぶらさげてあった。
一言に提灯といっても色々なサイズ、形、柄、文字がある。
地域や家柄によって文字や模様も多種多様。

飾らない家も増えてきたが、古川祭りや町内の祭りで多く使用されるのがナツメ型の提灯。

組み立てから、和紙を張る作業、文字を入れまでの作業など全部で10工程ほどを全部一人で行う。
3~4個をまとめて作り約20日間ほどで出来上がる。
使われている部品や材料の1つ1つにもこだわりがたくさん詰まっている。
提灯の上下についた黒いわっかを重化という。

重化は山桜の木を丸く曲げて作る。

現在、職人さんんがほとんどいない。
高山市の桜山にいる曲げわっぱ専門の職人さんに頼んで特別作ってもらっている。
つなぎ目の部分は桜の皮で編み込んであり、ボンドでくっつけてしまえば楽な箇所をあえて小さな木の杭で打ち付けてあったりと細部まで職人のこだわりが詰まっている。

そして黒く塗る作業は高山の仏壇店に野中さん本人が交渉し塗ってもらっている。
提灯に張られる和紙は飛騨市河合町で作られているこれまた、伝統工芸品の山中和紙。
提灯を支える大事な骨組みの竹ひごは、材料の入手が困難になっていてネットで散々探し、やっと見つけたところが廃業し、また見つけたところは太さが違うので自分で細くしたりと手間がかかっている。
1つ1つのどれが欠けても、完成しない究極の伝統工芸品が野中提灯なのだ。
野中さんは、竹ひごの組み立て方がとても難しくてどうやったらうまくいくのか知りたくて、提灯を専門で作っている所に直接電話をして、
作り方のコツなどを聞いたりもした。
「便利なものがあってね~くるくる巻き付けたら簡単にできるのよ~」と言ってくる人もいたが、
(私が知りたいのはそこじゃない・・・)と野中さんは思い何件も電話をかけた。
1件だけ野中さんと同じように竹ひごで1本がけをして作っている所が福井県にあった。
福井は学生時代にバイクのツーリングで何度も訪れた場所だったので、すぐに分かった。
そこの提灯屋さんに何度か行って竹ひごのコツなどを教えてもらい今でも交流は続いている。

これは東海テレビが取材に来た時に説明で使用した竹ひごを巻いている途中のもの
職人の世界は独立して終わりではない。
一生勉強し続ける者こそが、生き残る世界なのかもしれない。
でも、時代が進むにつれて提灯の作り方を変えている所もたくさんあるようだ。
「どんなに楽な方法で作ることができても、師匠から教えてもらったやり方はずっと変えることはない。
便利さを優先して代々続くやり方を絶やしたら継承した意味がない。
もし習いたいという人が来たら、私はまた同じやり方で教えて道具もすべて預かっているのでそれをまた引き継ぐだけ。
私で終わりではなくてずっと続いてほしい。」

師匠からそのまま引き継いだ道具の数々、どれも年季が入っている
元々物作りが大好きで、ちょっとやってみようかなという気持ちでやり始めた提灯作り。
でも、いざ足を踏み入れたらとても楽しくてもっともっと深く学びたくなった。
そして、独立した今も尚、貪欲に学び続けている。
基本的に休みはない。
昼間は、りんご園の仕事をご主人とやっている。
間引きや袋詰めなどはパートさんも一緒にやったり、最近では9月頃からりんご飴の販売もしていてとても忙しいようだ。

袈裟丸りんご園で採れたりんごで作ったりんご飴
りんご飴以外にも新商品が今後出るかもしれないとのこと。
そして、2級建築士の資格保持者である野中さん。
図面依頼なども仕事の合間にこなしている。
伝統工芸の継承者であること自体がすごいのに、何足もわらじを履いているので、話を聞けば聞くほど野中さんって何者なんだろうという思いが私の中で湧き上がってきた。
そこで、最後に2つ質問をしてみた。
(どれが本当の野中さんなんですか?)
そうすると、さらっとこんな応えが。。。
「どれもあたし!何をやっても楽しいの~♪りんご園も提灯作るときも、手芸とか家族とわぁわぁ言っとる時も、1人で好きなことしとる時も楽しい!」
(伝統工芸がこれからどんどん衰退していく中で、逆にそういったものへ関心も深まりつつありますが、これから継承しようとする若者たちへ何かアドババイスはありますか?)
「継がならんって思うとプレッシャーになるけど、興味があることがあったら、色々チャレンジしてみるといい。
絶やさんようにっていう想いは根底にあるけど、楽しむことが1番!!楽しくないと続かんでな~」
興味があることを色々やっていたらこうなっていたとう野中さんはとても自然体で生き生きとしていた。
春になると桜が咲き荒城川が見える野中提灯の作業場。
古川祭りの時には提灯が灯り神様が通る道となる。
取材の日には、ゆらゆらと落ちる桜の花びらがとても綺麗だった。

作業場から見える景色は、季節の移ろいも楽しむことができる
最高の場所で、提灯を作り続け趣味の手芸もする。
野中さんには、これからもやりたいことがいっぱいある。
野中提灯の作業場は、宝箱のようにこれからも野中さんの好きなものがどんどん作られていく場所になるだろう!
(完)
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「生きている限り死ぬまで提灯は作らならんな~」
最後の最後にそう応えてくれた野中さんの言葉には、伝統工芸を引き継いだ者の責任と強い意志が感じられ柔らかい雰囲気で始まった取材がいい意味で引き締まり私も一人の人間として生きていく意味と責任感みたいなものを考えさせられる取材でした。
野中さん!!
改めまして取材のご協力ありがとうございました~!!

野中提灯と袈裟丸りんご園のインスタグラム
https://instagram.com/kesamaru_apple?igshid=1ienceoxnbsz
増え続ける命、負の連鎖を止めるために~にゃんlivingを訪ねて~
2021年02月20日
皆さんこんにちは~
飛騨エシカルの室です。
突然ですが、今までにペットを飼ったことがありますか?
または現在飼っていますか?
コロナ渦でペットブーム再来なんて言われていますが、たくさんの動物がペットとして大切に飼われている裏では、やむを得ない事情でペット達を手放す人、または捨てる人、保健所に連れていく人など様々です。
平成30年度には年間3.8万匹の犬猫が殺処分されています。
10年前は年間27万匹でしたので、かなり減少したことになりますが、1日に換算すると約105匹もの犬猫が日本で殺処分されていることになります。
そして、その役8割が猫で、そのうちの約5割はまだ離乳食前の赤ちゃん猫です。
地域にもよりますが、離乳前の子猫は人間の赤ちゃんと同じで、3時間おきにミルクなどを与えないといけないため、人手の確保ができない場合は即日処分になるそうです。
それを知った時、なんともいえない悲しい気分になりました。
なんとかしてあげたい、でもどうしたらいいのか分からない、何もできない自分の無力さにも虚しさを感じました。
そんな時に、たまたま長男と行った西之一色町の開放型猫シェルターの存在を知りました。
そして、取材を申し込んだところ快諾してくださったので、先日お話を聞いてきました~!
どうぞご覧ください。
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令和3年 2月15日(月) 天気:雨

「こんにちは~」と入っていくと、小柄の可愛らしい女性が明るく迎え入れてくれた。
今回の主役、五十嵐さんだ。
NPO法人のまちづくりスポットで働きながら、開放型猫シェルターにゃんlivingの代表を務め、NPO法人すえひろの理事も務めている、多足のわらじを持つバイタリティ溢れる女性。
2011年3月11日 ニュースで連日放送されていた東日本大震災。
地震・津波・福島原子力発電所の事故。
五十嵐さんはあの時、原発から10キロ圏内に住んでいた。
あの日から生活が一変し追い出されるように住まいを転々とする日々が始まった。
高齢の祖母を介護しながら、まだ幼かった2人の子供を育て、ペットを連れての避難所生活、避難中に母を震災関連死で亡くすという悲しい出来事がありながらも小さな体で一生懸命、家族を支えてきた。
そんな中、被災者に賃貸を紹介するサイトで偶然高山市に条件の合う家が見つかり、縁もゆかりもない高山へ家族で引っ越した。
被災地での経験を活かし体験談を語る講演活動にも積極的に参加。
しかし、体験談を語っても大変だったねと結局他人事で終わってしまう。。。
それじゃあ意味がないと、体験談だけではなく
こんな風に大変だったからこうしたらいいという感じで、体験者だから分かる具体的な防災知識を現在は、NPO法人すえひろの活動として多くの人に伝えている。
震災では、命・当たり前の生活・大切なもの・宝物だったものすべてがあっけなく見捨てられてしまった。
避難中にペットを置いてきたという罪悪感もあった。
そのペット達を見つけて保護してくれた動物愛護団体の活動を知る。
犬は広島の「みなしご救助隊」、猫は埼玉の「アニマルエイド」に助けられた。
高山にも「アニマルレスキュー飛騨」という動物愛護団体があることを知り震災の経験から自身も愛護団体の一員として活動することに。
動物愛護団体で救える命はあるが、どうしても保護活動と譲渡活動のバランスが取れないことに限界を感じていた。
動物愛護団体もなくなってはいけないもの、でも実際、愛護団体に行政は関与せずボランティア活動なので、優しいさゆえにどうしても負担が大きくなってしまうのが問題。
そこで、五十嵐さんは猫の命も救えて、譲渡もできる、そして、動物愛護団体さんを支援する活動もできる場所を考えた!
それが「開放型シェルターにゃんliving」なのだ。
設立は、2020年の7月11日。
現在24匹の猫たちが暮らしている。
去年オープンして、既に25匹の猫たちが譲渡されていった。
この施設は古民家を改装してあり、猫たちがのびのびと暮らせる造りになっている。

猫が楽しく暮らせる細工が所々にある。
冬でも温かく快適な住まい。
猫たちは、とても幸せそうだ。
よく見ると、猫の耳が切れている。

これは、「さくら耳」といって去勢手術や避妊手術をしていてこれ以上増えない命という目印、女の子は左耳、男の子は右耳がさくらの花びらのようになっている。
保護猫は、動物愛護団体からくる猫たちで、野良猫、母猫がいなくなった子猫、飼い猫で飼い主がいなくなった猫など理由は様々だ。

でも、最終的には譲渡することを目的としているので人を怖がらない猫を愛護団体から引き取っている。
私たちにできることは?
もし、野良猫を見つけたら?
えさをあげてなついたら、保護して避妊手術や去勢手術を受けさせて、またその場所に戻す。
本当は全戸保護して譲渡されるまで育てたいけれど、それは無理な話で、どうしても生き延びるのが難しい猫を保護してそれ以外は手術をしてから、地域猫として地域猫の活動をしている人に管理されて生きていくことになる。
徐々に広がっている地域猫の活動は、地域の理解や手術費の面でいまだにハードルが高いのも現実。
でも、そんな活動をされている方たちがいるんだよということを知るだけでも、野良猫を見た時の目が変わるかもしれない。
もし近くに野良猫がいて、どうしたらいいのか分からない場合は一度、高山で活動している「アニマルレスキュー飛騨」や「NPO法人もふっこひだ」に連絡して頂くのがいいとのこと。
猫は非常に繁殖能力が強い動物なので、負の連鎖を生まないためにも地域みんなの協力が必要だと五十嵐さんは言う。
増え続ける命の蛇口を閉めることで無駄死にする猫が減るということを知ってほしい。
寒冷地である飛騨では、寿命が2年~4年。
野良猫の過剰繁殖を防ぐには地域の協力が必要不可欠なのだ。
今すぐに解決しないけれど、多方面から地域の皆さんが協力することができたら野良猫問題は減っていくかもしれない。
できることの一つとして地域猫活動というのがある。
※環境省「人と動物が幸せに暮らす社会の実現プロジェクト」資料より一部抜粋
また、「にじのはしスペイクリニック」という猫の不妊去勢手術を専門で行っている動物病院が岐阜にあり、月に一度移動診療所として高山のにゃんlivingにも訪れる。

行政獣医として人間のエゴで粗末に扱われている犬猫と接してきて、目を背けたくなる現実を目の当たりにしてきた過去の経験から、このクリニックを立ち上げた獣医さん。
にゃんlivingの五十嵐さんをはじめ、アニマルレスキュー飛騨の皆様、スペイクリニックの獣医さん、地域猫活動をされている方々の活動を今まで何も知らなっかった自分を恥じたお詫びに、こんなに尊い活動をされている方々をもっとたくさんの方に知って頂きたいと思い原稿を打つ手が熱くなる。
保護猫の里親になって自宅で飼うことが難しい人は、ぜひにゃんlivingに行って猫と触れ合ってほしい。

ソファに寝転ぶ猫達。ソファに座ると自然と膝に乗ってくるのでとても癒される。
30分500円で猫と触れ合えることができる、そしてそこに行くだけで猫たちを助けることにも繋がるのだ。
そもそも、ここを立ち上げたのも猫が好きな人だけじゃなくたくさんの人に猫と簡単に気軽に触れ合える場所を作りたいという理由。
そしてここの素晴らしい所は、開放型というところ。
普通の保護猫シェルターだと、ゲージに入れられてたり、猫を飼いたい人しか訪れない。
でも、ここは猫が自由に動いていて、人も気軽に触れ合える。

店内には自販機があり、自由に飲み物が買える。イートインコーナーもあり、持ち込みもOK。
そして、猫たちが自分で運営資金を稼げるシステムが構築されている。
飼いたい人は里親になり譲渡してもらうことができる。
ご高齢の方だと以前は審査ではじかれることもあったが、今は月額1000円でにゃんlivingが後見人になり何かあった時は猫を返す事ができる。
高齢の方も以前よりハードルがかなり下がった。
アフターフォローもしっかりしているので、初めて飼う人も安心だ。
猫にも人にも優しいこんな場所は高山ではここだけだと思う。
最後に皆さんに伝えたいことはとお伺いしたところ、
「私が生きている間にこの野良猫問題は解決しない、子供たちにどんな未来を残したいか?
順番で言ったら子供より私が先に死ぬでしょう。
残された子供達がどんな未来で生きてほしいかを考えてほしい。
猫の好き嫌いは自由だけど、ただ嫌いというだけで傍観していていいのか、また猫を見て石を投げるような子になってほしいのか。。。
少なくとも私はそんな子供たちにはなってほしくない。」
穏やかな口調だけど力強い五十嵐さんの言葉。
猫も飼いたい人も飼えない人も、生きている命を優しく見守る場所、そして命の大切さを学ぶ場所としてもっともっと地域の皆さんに利用して頂けますように。。。


餌を食べている様子がなんともかわいい。
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今回の取材を通して、自分も含め人間のエゴってなんなんだと改めて感じました。
見た目だけで動物をかわいいからと言ってお金を出して命を買い、思ってたのと違ったり大変だからという理由で保健所に持って行ったり、捨てたり。。。
そんなことはあってはならないし、子供たちにもそんな風になってほしくない。
そうならないために、やはり大人が命の大切さや命あるものを最後まで責任をもって育てるということの手本にならなければいけないと思いました。
日本はペット後進国と言われています。
飼ったのなら、最後までしっかりお世話をしましょう。
そして、野良猫を見かけたら、負の連鎖を作らないためにもできることをやっていきましょう。
この記事を読んで、にゃんlivingに行ってみるのもいいでしょう。
愛護団体のボランティアに参加するのもいいでしょう。
知ることで少しでも小さな世界が変わるならば、私はこれからもいろんなところへ取材に行きます!!
にゃんllivingの五十嵐さん、貴重な体験談やお話をありがとうございました~!!
また、遊びに行きます~!!
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●開放型猫シェルターにゃんliving
インスタグラム https://instagram.com/nyanliving2020711?igshid=9hp0ane02n01
nyanliving@gmeil.com
●高山市市民活動団体「アニマルレスキュー飛騨」
ひだっちブログ↓
https://animalhida.hida-ch.com/
●NPO法人もふっこひだ
https://www.mofuhida.com/
飛騨エシカルの室です。
突然ですが、今までにペットを飼ったことがありますか?
または現在飼っていますか?
コロナ渦でペットブーム再来なんて言われていますが、たくさんの動物がペットとして大切に飼われている裏では、やむを得ない事情でペット達を手放す人、または捨てる人、保健所に連れていく人など様々です。
平成30年度には年間3.8万匹の犬猫が殺処分されています。
10年前は年間27万匹でしたので、かなり減少したことになりますが、1日に換算すると約105匹もの犬猫が日本で殺処分されていることになります。
そして、その役8割が猫で、そのうちの約5割はまだ離乳食前の赤ちゃん猫です。
地域にもよりますが、離乳前の子猫は人間の赤ちゃんと同じで、3時間おきにミルクなどを与えないといけないため、人手の確保ができない場合は即日処分になるそうです。
それを知った時、なんともいえない悲しい気分になりました。
なんとかしてあげたい、でもどうしたらいいのか分からない、何もできない自分の無力さにも虚しさを感じました。
そんな時に、たまたま長男と行った西之一色町の開放型猫シェルターの存在を知りました。
そして、取材を申し込んだところ快諾してくださったので、先日お話を聞いてきました~!
どうぞご覧ください。
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令和3年 2月15日(月) 天気:雨

「こんにちは~」と入っていくと、小柄の可愛らしい女性が明るく迎え入れてくれた。
今回の主役、五十嵐さんだ。
NPO法人のまちづくりスポットで働きながら、開放型猫シェルターにゃんlivingの代表を務め、NPO法人すえひろの理事も務めている、多足のわらじを持つバイタリティ溢れる女性。
2011年3月11日 ニュースで連日放送されていた東日本大震災。
地震・津波・福島原子力発電所の事故。
五十嵐さんはあの時、原発から10キロ圏内に住んでいた。
あの日から生活が一変し追い出されるように住まいを転々とする日々が始まった。
高齢の祖母を介護しながら、まだ幼かった2人の子供を育て、ペットを連れての避難所生活、避難中に母を震災関連死で亡くすという悲しい出来事がありながらも小さな体で一生懸命、家族を支えてきた。
そんな中、被災者に賃貸を紹介するサイトで偶然高山市に条件の合う家が見つかり、縁もゆかりもない高山へ家族で引っ越した。
被災地での経験を活かし体験談を語る講演活動にも積極的に参加。
しかし、体験談を語っても大変だったねと結局他人事で終わってしまう。。。
それじゃあ意味がないと、体験談だけではなく
こんな風に大変だったからこうしたらいいという感じで、体験者だから分かる具体的な防災知識を現在は、NPO法人すえひろの活動として多くの人に伝えている。
震災では、命・当たり前の生活・大切なもの・宝物だったものすべてがあっけなく見捨てられてしまった。
避難中にペットを置いてきたという罪悪感もあった。
そのペット達を見つけて保護してくれた動物愛護団体の活動を知る。
犬は広島の「みなしご救助隊」、猫は埼玉の「アニマルエイド」に助けられた。
高山にも「アニマルレスキュー飛騨」という動物愛護団体があることを知り震災の経験から自身も愛護団体の一員として活動することに。
動物愛護団体で救える命はあるが、どうしても保護活動と譲渡活動のバランスが取れないことに限界を感じていた。
動物愛護団体もなくなってはいけないもの、でも実際、愛護団体に行政は関与せずボランティア活動なので、優しいさゆえにどうしても負担が大きくなってしまうのが問題。
そこで、五十嵐さんは猫の命も救えて、譲渡もできる、そして、動物愛護団体さんを支援する活動もできる場所を考えた!
それが「開放型シェルターにゃんliving」なのだ。
設立は、2020年の7月11日。
現在24匹の猫たちが暮らしている。
去年オープンして、既に25匹の猫たちが譲渡されていった。
この施設は古民家を改装してあり、猫たちがのびのびと暮らせる造りになっている。

猫が楽しく暮らせる細工が所々にある。
冬でも温かく快適な住まい。
猫たちは、とても幸せそうだ。
よく見ると、猫の耳が切れている。

これは、「さくら耳」といって去勢手術や避妊手術をしていてこれ以上増えない命という目印、女の子は左耳、男の子は右耳がさくらの花びらのようになっている。
保護猫は、動物愛護団体からくる猫たちで、野良猫、母猫がいなくなった子猫、飼い猫で飼い主がいなくなった猫など理由は様々だ。

でも、最終的には譲渡することを目的としているので人を怖がらない猫を愛護団体から引き取っている。
私たちにできることは?
もし、野良猫を見つけたら?
えさをあげてなついたら、保護して避妊手術や去勢手術を受けさせて、またその場所に戻す。
本当は全戸保護して譲渡されるまで育てたいけれど、それは無理な話で、どうしても生き延びるのが難しい猫を保護してそれ以外は手術をしてから、地域猫として地域猫の活動をしている人に管理されて生きていくことになる。
徐々に広がっている地域猫の活動は、地域の理解や手術費の面でいまだにハードルが高いのも現実。
でも、そんな活動をされている方たちがいるんだよということを知るだけでも、野良猫を見た時の目が変わるかもしれない。
もし近くに野良猫がいて、どうしたらいいのか分からない場合は一度、高山で活動している「アニマルレスキュー飛騨」や「NPO法人もふっこひだ」に連絡して頂くのがいいとのこと。
猫は非常に繁殖能力が強い動物なので、負の連鎖を生まないためにも地域みんなの協力が必要だと五十嵐さんは言う。
増え続ける命の蛇口を閉めることで無駄死にする猫が減るということを知ってほしい。
寒冷地である飛騨では、寿命が2年~4年。
野良猫の過剰繁殖を防ぐには地域の協力が必要不可欠なのだ。
今すぐに解決しないけれど、多方面から地域の皆さんが協力することができたら野良猫問題は減っていくかもしれない。
できることの一つとして地域猫活動というのがある。
地域猫活動とは何なのか?
1.飼い主のいない猫の不妊去勢手術を行う。
2.猫用トイレを設置し、糞尿の始末と管理をする。
3.給餌場所を決め、清掃・管理をする。
★地域で協力し、1~3などの活動を継続して実施していき困っていることの解決を目指す方法を「地域猫活動」という。
※環境省「人と動物が幸せに暮らす社会の実現プロジェクト」資料より一部抜粋
また、「にじのはしスペイクリニック」という猫の不妊去勢手術を専門で行っている動物病院が岐阜にあり、月に一度移動診療所として高山のにゃんlivingにも訪れる。

行政獣医として人間のエゴで粗末に扱われている犬猫と接してきて、目を背けたくなる現実を目の当たりにしてきた過去の経験から、このクリニックを立ち上げた獣医さん。
にゃんlivingの五十嵐さんをはじめ、アニマルレスキュー飛騨の皆様、スペイクリニックの獣医さん、地域猫活動をされている方々の活動を今まで何も知らなっかった自分を恥じたお詫びに、こんなに尊い活動をされている方々をもっとたくさんの方に知って頂きたいと思い原稿を打つ手が熱くなる。
保護猫の里親になって自宅で飼うことが難しい人は、ぜひにゃんlivingに行って猫と触れ合ってほしい。

ソファに寝転ぶ猫達。ソファに座ると自然と膝に乗ってくるのでとても癒される。
30分500円で猫と触れ合えることができる、そしてそこに行くだけで猫たちを助けることにも繋がるのだ。
そもそも、ここを立ち上げたのも猫が好きな人だけじゃなくたくさんの人に猫と簡単に気軽に触れ合える場所を作りたいという理由。
そしてここの素晴らしい所は、開放型というところ。
普通の保護猫シェルターだと、ゲージに入れられてたり、猫を飼いたい人しか訪れない。
でも、ここは猫が自由に動いていて、人も気軽に触れ合える。

店内には自販機があり、自由に飲み物が買える。イートインコーナーもあり、持ち込みもOK。
そして、猫たちが自分で運営資金を稼げるシステムが構築されている。
飼いたい人は里親になり譲渡してもらうことができる。
ご高齢の方だと以前は審査ではじかれることもあったが、今は月額1000円でにゃんlivingが後見人になり何かあった時は猫を返す事ができる。
高齢の方も以前よりハードルがかなり下がった。
アフターフォローもしっかりしているので、初めて飼う人も安心だ。
猫にも人にも優しいこんな場所は高山ではここだけだと思う。
最後に皆さんに伝えたいことはとお伺いしたところ、
「私が生きている間にこの野良猫問題は解決しない、子供たちにどんな未来を残したいか?
順番で言ったら子供より私が先に死ぬでしょう。
残された子供達がどんな未来で生きてほしいかを考えてほしい。
猫の好き嫌いは自由だけど、ただ嫌いというだけで傍観していていいのか、また猫を見て石を投げるような子になってほしいのか。。。
少なくとも私はそんな子供たちにはなってほしくない。」
穏やかな口調だけど力強い五十嵐さんの言葉。
猫も飼いたい人も飼えない人も、生きている命を優しく見守る場所、そして命の大切さを学ぶ場所としてもっともっと地域の皆さんに利用して頂けますように。。。


餌を食べている様子がなんともかわいい。
▲▲▲▲▲
今回の取材を通して、自分も含め人間のエゴってなんなんだと改めて感じました。
見た目だけで動物をかわいいからと言ってお金を出して命を買い、思ってたのと違ったり大変だからという理由で保健所に持って行ったり、捨てたり。。。
そんなことはあってはならないし、子供たちにもそんな風になってほしくない。
そうならないために、やはり大人が命の大切さや命あるものを最後まで責任をもって育てるということの手本にならなければいけないと思いました。
日本はペット後進国と言われています。
飼ったのなら、最後までしっかりお世話をしましょう。
そして、野良猫を見かけたら、負の連鎖を作らないためにもできることをやっていきましょう。
この記事を読んで、にゃんlivingに行ってみるのもいいでしょう。
愛護団体のボランティアに参加するのもいいでしょう。
知ることで少しでも小さな世界が変わるならば、私はこれからもいろんなところへ取材に行きます!!
にゃんllivingの五十嵐さん、貴重な体験談やお話をありがとうございました~!!
また、遊びに行きます~!!
▲▲▲▲▲
●開放型猫シェルターにゃんliving
インスタグラム https://instagram.com/nyanliving2020711?igshid=9hp0ane02n01
●高山市市民活動団体「アニマルレスキュー飛騨」
ひだっちブログ↓
https://animalhida.hida-ch.com/
●NPO法人もふっこひだ
https://www.mofuhida.com/
非日常の中に幸せと喜びを〜風来坊を訪ねて〜
2021年01月26日
みなさんこんにちは~
飛騨エシカルの室です。
みんな歩むべき道は人それぞれ違います。
私も紆余曲折して38年間過ごしてきました。
人生のターニングポイントには必ず誰かがいます。
今回私が取材に行ってきた人は、人生の中で出会ったほうがいい類の人です。
取材を申し込んだのは、インスタグラムで見たひとつの投稿がきっかけです。
それは、こんな内容。。。
雪かき代行をして、お金は貰わず食べ物でお礼を貰ったという内容のもの。
しかも、雪かきのことを楽しくて幸せになれる仕事。
冬の運動不足解消にもなって、
無心で暴れまわるように雪かきをしたらストレス解消にもなると書いてあった。
飛騨人にとって雪かきとは、辛いものであって楽しくもないし、幸せな気持ちになったこともない、むしろストレスでしかない。
それをこの人は、楽しくて幸せになれると言っている、やばい人なんじゃないか?
会うまでずっとドキドキしていました。
勝手に住職という名前、あの辛い雪かきを楽しくて幸せな気持ちになれるなんて
一体何者なのか大変興味が湧いたので会ってきました。
さてどんな人なのか?
私の目線から見た彼をご紹介致します。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
令和3年 1月 14日(木) 晴れ
待ち合わせ場所は高山図書館から近い、こじんまりとしたカフェ。
到着すると、坊主頭の男が本を読んでいた。
そう彼が今回の主役、自称『勝手に住職』の藤原さん。
京都出身の26歳、まだとても若い。

京都の大学を卒業後、企業に就職したが1年で退職。
バイクで日本一周をしている途中でたまたま泊まった高山のゲストハウスtauが、
後に高山へ住民票を移すきっかけとなった。
ちょうど人手不足で掃除などの手伝いをしながら、tauに2週間ほど滞在。
滞在中にいろんな繋がりができて、現在メインで働いている半弓道場の仕事も決まった。

高山市の朝日町にある半弓道場は、90年もの長い歴史があり半弓道場といえばそこ!というくらい高山市民にとって馴染みの深い場所。
藤原さんは、その場所に昔からあるべきもの、なくなったら高山じゃなくなる場所や店というものを大切にしていきたいと語る。

その思いが今年の春、ついに形になる。
それは、高山市民になるきかっけとなった一番最初に高山で訪れたゲストハウス、tau。
オーナーさんから引き継いで今度は藤原さんが、同じ場所でゲストハウスと古本屋併設のカフェを開く予定だ。
高山に住んで3年目で想いが形になったてきた。
3年で、26歳の若者が夢を実現する第一歩を踏み出そうとしている。
努力や苦労はあったと思うが、それを感じさせない心も体もフットワークの軽そうな藤原さん。
ゆっくりと言葉を選びながら丁寧に私に話してくれる姿は、シンプルに表現するならばとてもいい人という印象。
住職の資格こそ持ってはいないが、在学中に仏教のことを勉強していたというだけあってとても詳しいし例え話も分かりやすい。
勝手に住職という名前は、キャラ作りらしく
ジャンクフードも食べるし、クリスマスも普通にやる。
そんなことを正直に言ってしまうところが、とてもいい。
起業していく中で出会う人にインパクトを与えたいということから、頭を坊主にして勝手に住職という名前で頑張っている。
でも、頑張っているという言葉は彼にふさわしくないような気がした。
それは、雪かきの件もそうだが、普通の人が嫌がるようなことも楽しそうにやってのけるし、
実際会って話していると発する言葉に嘘偽りがなく、勝手に住職という名は胡散臭いが彼自体に胡散臭さがまったくなくとても自然体だからかもしれない。
なので、無理に頑張っている感じがなくて話していると心地いい。
これはきっと彼独特の雰囲気であって努力して作られたものではなく、生きてきた中で蓄積されてきたものなのかもしれない。
そんな藤原さんは、大の古本好き。
古本屋を作ることになったのは、高山に自分の思い描く古本屋がないから。
店主の色がある古本屋を作りたい。
どうして、古本じゃなきゃダメなのか?とよく聞かれるが、それは偶然の出会いというものを大切にしているから。
普通の本屋さんだと、欲しい本が決まっていて買いに行くが古本屋はちょっと違う。
ふら~っと入ってパラパラとページをめくる中で
「あっ!」
という心躍る出会いがある。
店主の色を出すということは、万人受けしないかもしれない、でも、無理に万人受けしようとは思わない。
自分のいいと思ったものだけを置く古本屋にしたい。
実は、出張古本屋、住職書房という名前で出張型の古本屋は既にやっている。

過去に何度か、カフェなどで古本市なども開催したことがある。

人文や思想、宗教、旅、地名など色んなジャンルの本が好き。
年間何冊読むなどの目標はなく、読みたいときに読むというスタイルで近くに本がいつも転がっている。
古本好きの藤原さんが作るこだわりいっぱいの古本屋さん、できたらぜひ行ってみたい。
そしてゲストハウスは、どちらかといえばシェアハウスよりのものにしたいそうだ。
でも、一言にゲストハウスやシェアハウスという言葉でくくりたくない。
近年ゲストハウスは町の至る所にでき、安い宿やビジネスホテル代わりに利用する人もいるがそういった目的ではなく、
「僕と同じようにどうなるか分からない世の中で、どうしたらいいのか分からない人に僕と同じような体験をして何かを見つけてほしい」
という困った人を助ける駆け込み寺のような形で藤原さんの思いを形にしていく。
まだ、名前は決まっていないが
「やることがないんだったら明日から住んでいいの場所」というサブタイトルがある。
大学を卒業して都会で就職することが全てじゃない、色んな人生があるよと気づいてほしいと彼は言う。
シェアハウスのという普通とは違う非日常の中で、やりがいや幸せ、何か人生の道標となるものが見えるかもしれない。
経験者ならではの生の声。
本当に26歳なのか?
そして、心に沁みる言葉の数々。
「自利利他」…じりりた
自分の利益が他人の利益にもなるという仏教の教え。
自分が幸せじゃなかったら他人も幸せじゃない、自分の幸せのためにやっていることが他人の幸せになる。
自分が笑っていないと他人も笑えない。
藤原さんは、本音と建前を大事にしている。
生活していかなかればならない。
雪かきをする代わりに食べ物を頂いた、完全に無償でやるのは僕にはできない。
綺麗な言葉だけではなく、本当に思っていることを素直に伝えてくれる人。
いい人ぶらず良いことことも悪いことも伝えてくれる人はなんだか信頼できる。
一度会っただけでは、わからない魅力が彼にはつまっている。
ピカピカの本というよりは、前に読んでいた人の手から次に読む人の手へと渡っていく古本のような独特の深みがある勝手に住職の藤原さん。
話せば話すほど深みのある男。これからは人:人の時代。
同じ物でも、どこの誰から買うか、カフェでもあの人に会いたいからあそこに行きたいなどと、人同士の繋がりが大切になってくる。
生きにくい世の中とはいえど、自ら行動することによって、色んな可能性が広がるかもしれません。
少し疲れた時や愚痴を言いたい時、家族と喧嘩して少し家を飛び出したい時、ただ話をしたい時は、駆け込み寺のような古本屋に行ってみましょう。
勝手に住職の藤原さんが温かく迎え入れてくれることでしょう。(完)
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
まだまだ伝えたいことはたくさんあるのですが、実際に会ったほうが彼の魅力が直で伝わります。
彼がよく出没するスポットは陣屋前にあるカフェクーリエさんとのことです。
ここに行ったら会えるかもしれません!
本当に話すと素敵な方なので、ぜひ会いに行ってみてください。
オープン予定は、今年の春。
どこから来てもウェルカムとの事なので、高山市内の方もぜひ!
私も、オープンが楽しみです!
藤原さん、取材のご協力本当にありがとうございました〜!!
住職書房のインスタアカウントはこちら!
https://instagram.com/jyusyokusyobo?igshid=1ptxtfbheauuq
飛騨エシカルの室です。
みんな歩むべき道は人それぞれ違います。
私も紆余曲折して38年間過ごしてきました。
人生のターニングポイントには必ず誰かがいます。
今回私が取材に行ってきた人は、人生の中で出会ったほうがいい類の人です。
取材を申し込んだのは、インスタグラムで見たひとつの投稿がきっかけです。
それは、こんな内容。。。
雪かき代行をして、お金は貰わず食べ物でお礼を貰ったという内容のもの。
しかも、雪かきのことを楽しくて幸せになれる仕事。
冬の運動不足解消にもなって、
無心で暴れまわるように雪かきをしたらストレス解消にもなると書いてあった。
飛騨人にとって雪かきとは、辛いものであって楽しくもないし、幸せな気持ちになったこともない、むしろストレスでしかない。
それをこの人は、楽しくて幸せになれると言っている、やばい人なんじゃないか?
会うまでずっとドキドキしていました。
勝手に住職という名前、あの辛い雪かきを楽しくて幸せな気持ちになれるなんて
一体何者なのか大変興味が湧いたので会ってきました。
さてどんな人なのか?
私の目線から見た彼をご紹介致します。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
令和3年 1月 14日(木) 晴れ
待ち合わせ場所は高山図書館から近い、こじんまりとしたカフェ。
到着すると、坊主頭の男が本を読んでいた。
そう彼が今回の主役、自称『勝手に住職』の藤原さん。
京都出身の26歳、まだとても若い。

京都の大学を卒業後、企業に就職したが1年で退職。
バイクで日本一周をしている途中でたまたま泊まった高山のゲストハウスtauが、
後に高山へ住民票を移すきっかけとなった。
ちょうど人手不足で掃除などの手伝いをしながら、tauに2週間ほど滞在。
滞在中にいろんな繋がりができて、現在メインで働いている半弓道場の仕事も決まった。

高山市の朝日町にある半弓道場は、90年もの長い歴史があり半弓道場といえばそこ!というくらい高山市民にとって馴染みの深い場所。
藤原さんは、その場所に昔からあるべきもの、なくなったら高山じゃなくなる場所や店というものを大切にしていきたいと語る。

その思いが今年の春、ついに形になる。
それは、高山市民になるきかっけとなった一番最初に高山で訪れたゲストハウス、tau。
オーナーさんから引き継いで今度は藤原さんが、同じ場所でゲストハウスと古本屋併設のカフェを開く予定だ。
高山に住んで3年目で想いが形になったてきた。
3年で、26歳の若者が夢を実現する第一歩を踏み出そうとしている。
努力や苦労はあったと思うが、それを感じさせない心も体もフットワークの軽そうな藤原さん。
ゆっくりと言葉を選びながら丁寧に私に話してくれる姿は、シンプルに表現するならばとてもいい人という印象。
住職の資格こそ持ってはいないが、在学中に仏教のことを勉強していたというだけあってとても詳しいし例え話も分かりやすい。
勝手に住職という名前は、キャラ作りらしく
ジャンクフードも食べるし、クリスマスも普通にやる。
そんなことを正直に言ってしまうところが、とてもいい。
起業していく中で出会う人にインパクトを与えたいということから、頭を坊主にして勝手に住職という名前で頑張っている。
でも、頑張っているという言葉は彼にふさわしくないような気がした。
それは、雪かきの件もそうだが、普通の人が嫌がるようなことも楽しそうにやってのけるし、
実際会って話していると発する言葉に嘘偽りがなく、勝手に住職という名は胡散臭いが彼自体に胡散臭さがまったくなくとても自然体だからかもしれない。
なので、無理に頑張っている感じがなくて話していると心地いい。
これはきっと彼独特の雰囲気であって努力して作られたものではなく、生きてきた中で蓄積されてきたものなのかもしれない。
そんな藤原さんは、大の古本好き。
古本屋を作ることになったのは、高山に自分の思い描く古本屋がないから。
店主の色がある古本屋を作りたい。
どうして、古本じゃなきゃダメなのか?とよく聞かれるが、それは偶然の出会いというものを大切にしているから。
普通の本屋さんだと、欲しい本が決まっていて買いに行くが古本屋はちょっと違う。
ふら~っと入ってパラパラとページをめくる中で
「あっ!」
という心躍る出会いがある。
店主の色を出すということは、万人受けしないかもしれない、でも、無理に万人受けしようとは思わない。
自分のいいと思ったものだけを置く古本屋にしたい。
実は、出張古本屋、住職書房という名前で出張型の古本屋は既にやっている。

過去に何度か、カフェなどで古本市なども開催したことがある。

人文や思想、宗教、旅、地名など色んなジャンルの本が好き。
年間何冊読むなどの目標はなく、読みたいときに読むというスタイルで近くに本がいつも転がっている。
古本好きの藤原さんが作るこだわりいっぱいの古本屋さん、できたらぜひ行ってみたい。
そしてゲストハウスは、どちらかといえばシェアハウスよりのものにしたいそうだ。
でも、一言にゲストハウスやシェアハウスという言葉でくくりたくない。
近年ゲストハウスは町の至る所にでき、安い宿やビジネスホテル代わりに利用する人もいるがそういった目的ではなく、
「僕と同じようにどうなるか分からない世の中で、どうしたらいいのか分からない人に僕と同じような体験をして何かを見つけてほしい」
という困った人を助ける駆け込み寺のような形で藤原さんの思いを形にしていく。
まだ、名前は決まっていないが
「やることがないんだったら明日から住んでいいの場所」というサブタイトルがある。
大学を卒業して都会で就職することが全てじゃない、色んな人生があるよと気づいてほしいと彼は言う。
シェアハウスのという普通とは違う非日常の中で、やりがいや幸せ、何か人生の道標となるものが見えるかもしれない。
経験者ならではの生の声。
本当に26歳なのか?
そして、心に沁みる言葉の数々。
「自利利他」…じりりた
自分の利益が他人の利益にもなるという仏教の教え。
自分が幸せじゃなかったら他人も幸せじゃない、自分の幸せのためにやっていることが他人の幸せになる。
自分が笑っていないと他人も笑えない。
藤原さんは、本音と建前を大事にしている。
生活していかなかればならない。
雪かきをする代わりに食べ物を頂いた、完全に無償でやるのは僕にはできない。
綺麗な言葉だけではなく、本当に思っていることを素直に伝えてくれる人。
いい人ぶらず良いことことも悪いことも伝えてくれる人はなんだか信頼できる。
一度会っただけでは、わからない魅力が彼にはつまっている。
ピカピカの本というよりは、前に読んでいた人の手から次に読む人の手へと渡っていく古本のような独特の深みがある勝手に住職の藤原さん。
話せば話すほど深みのある男。これからは人:人の時代。
同じ物でも、どこの誰から買うか、カフェでもあの人に会いたいからあそこに行きたいなどと、人同士の繋がりが大切になってくる。
生きにくい世の中とはいえど、自ら行動することによって、色んな可能性が広がるかもしれません。
少し疲れた時や愚痴を言いたい時、家族と喧嘩して少し家を飛び出したい時、ただ話をしたい時は、駆け込み寺のような古本屋に行ってみましょう。
勝手に住職の藤原さんが温かく迎え入れてくれることでしょう。(完)
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
まだまだ伝えたいことはたくさんあるのですが、実際に会ったほうが彼の魅力が直で伝わります。
彼がよく出没するスポットは陣屋前にあるカフェクーリエさんとのことです。
ここに行ったら会えるかもしれません!
本当に話すと素敵な方なので、ぜひ会いに行ってみてください。
オープン予定は、今年の春。
どこから来てもウェルカムとの事なので、高山市内の方もぜひ!
私も、オープンが楽しみです!
藤原さん、取材のご協力本当にありがとうございました〜!!
住職書房のインスタアカウントはこちら!
https://instagram.com/jyusyokusyobo?igshid=1ptxtfbheauuq
〜あなたのギフトは何?〜飛騨初のクラウニングスクールを訪ねて〜
2020年12月25日
皆さんこんにちは〜
飛騨エシカルの室です!
今回は、独特の世界観を持ち、会ったら絶対忘れない方にお会いしてきました!
どうぞご覧ください!
令和2年 12月14日(月) 天気は雪
待ち合わせ場所に到着すると、どーぞ、どーぞと優しく迎え入れてくれた陶芸家のような髭が似合う出立ちの方が。
彼が今回の主役、ケンさん。
それまで勤めた会社を辞めて、株式会社Inter-beingを年明けに立ち上げ予定!
相互共存、すべてが繋がる、すべては繋がっているという意味が込められた会社名。
代表のケンさんはクラウンでありHulaダンサーでもある。
どちらも愛がとても大切。
そしてこの愛を注ぐ事で自分に関わる全ての人がそれぞれの愛に気がつき、さらにそれらが広がって、繋がっていくようにするのが仕事。
今回は、ケンさんがクラウンを通して伝えたいことを掘り下げてお聴きすることに!

・クラウンとは?
クラウンは派手な衣装と化粧をし、サーカスなどに登場するコメディアンである。日本では「ピエロ」と呼ばれることも多いが、ピエロはクラウンの一種である。
「clowns are the secret to world peace」という言葉があり世界の中で大きな存在。
訳すと「クラウンは世界平和の秘訣になる」
サーカスが始まる前に、客席を笑いの渦で盛り上げて場を和ませたり、
世の中の理不尽な事や腹立たしい事、深刻な事も少し視点を変えてみると滑稽になる、そこに笑いをもたらす、
また何も無いところから笑いを生み出すクラウン。
クラウンに初めて出会ったのは、普通の会社員として働いていた頃。
そこで、クラウンをしている人の講義があり、コミュニケーション力の重要さを実感し、仕事の傍ら3ヶ月間、名古屋のクラウン学校へ。
その後、学びを深めるためにアメリカのテキサス大学に2週間ほど単身渡米、クラウンのスキルを色々学ぶ。
アメリカでは、皆の前でプレゼンの毎日。
絶対恥ずかしくて一般の人にはできないような内容。
例えば教室の入口から10分以上かけて入ってくる、顔だけで文字を表現するなど、他にも色々あった。
大変な事もあったけど、トータルで見たら全然苦労じゃない、そんな風にさらっと言うケンさん。
そして、アメリカから帰国後少しずつ色んな場所でクラウンをお披露目していく。

子供会や英会話教室のクリスマス会、障害者施設や福祉施設など。
演じる時、パッと見はクラウンが主役の様に見えてしまうが、実は会場にいるお客さんを主役にするのがクラウンの役目。
例えば、風船が中々膨らまなくてピューっと客席に飛んでいったらそこからストーリーが始まる。
その風船をとった子が主役になり、そこから色々なストーリー始まるのだ。
失敗から広がる、クラウンの世界。
何かを披露して全く受けずにシーンとする。
一般的にいえばすべるということ、すべった時こそ、それを利用してもっと面白くする。
失敗を失敗としない、失敗し続ける事が人を惹きつけるツールになるのだ。
なんて素敵なんだろう!
失敗を恐れている子供や親は多い。
自分で選べない子供も多い。
大人ですら自分で決められない。
ケンさんの元で学ぶ事によって、失敗なんて恐れずに、自分の道を自分で切り開いていける人になれるかもしれない。
殻を破って心が解放されると、自分らしい自由な表現ができるようになる。
そんな体験、子供達にやってほしい!

最初はボランティアでクラウンを披露していたが、ちゃんと責任を持って広めていきたいと思うようになり、会社の中でひとつの事業としてやる事にした。
クラウンを披露する事も仕事だけど、クラウニングでクラウンスキルの学びを通して、自分の可能性が広がる事を自然に感じて欲しい。
子供はもちろんのこと、大人にもぜひ学んで欲しい。
今からの時代、勉強も必要だけど自分の事を知り、自分で選べるようになる教育が必要。
クラウンは子供と話す時、必ずしゃがみこみ、小さい子だと寝転んで低くなって話す。
子供と話す時、しゃがみ込んで話す大人はそんなにいない。
子供とたくさん関わる親や教育に携わる人にこそこのクラウニングを伝えていきたい。
相手の事を常に考えているクラウン。
クラウンにも、まじめ・おとぼけ・かしこい・喋る・喋らないなど色んな種類がある。
ケンさんは優しくてお腹いっぱいが好きというキャラクター。
クラウンと自分との境目が分からなくなる時もあるが、人に優しくなれるのは間違いない。
なんで、人に優しくなれるのか?
それは、自分に優しいから人にも優しくなれるという。
いつも常識や世間体、周りの目を気にし過ぎて疲れている人は多い。
でも、クラウンを学ぶとキャラ設定をしたクラウンにいつでもなりきる事ができるので、すごく楽になる。
これは大人でも子供でも使えるスキル。
すごく人見知りな人がクラウンのキャラを持っていたら、人前でプレゼンしたり営業先で人とすぐ打ち解けられるようになるかもしれない。
自己紹介が苦手な子は多いけれど、クラウンスキルを学ぶ事によって、自分の事をよく知ることができて、友達の事ももっと知りたいと思うようになり、絶極的に色々できるようになるかもしれない。
会社に行くと気を遣って疲れてしまうけど、クラウンを演じてもっと楽に生きられるかもしれない。
障がいを持った人がクラウンを学んだら、障がいさえもプラスに考えて生き生きと過ごせるようになるかもしれない。
このように、クラウニングには色んな可能性がある。
ケンさんが何故そこまでクラウンにこだわるのか?
「人に与えた分、自分に還ってくる、パワーを与えると自分もパワーを貰える。
純粋な子供達にパワーを与えて還ってくるのを繰り返しをしてその子の魅力をどんどん引き出したい。
そして、親の代わりにはなれないけれど、君の事をちゃんと想っているよという事を伝えて、何か困った時に頼ってほしい、そんな人になりたい。
そして、綺麗事じゃないけれど、パワースポットになりたい!!」
Inter-beingを何故このタイミングで立ち上げたのか?
「理由を見つけようとしたがそもそも理由がなく、僕に与えられたギフトを使うタイミングが来たから」
人にパワーを与えたり、まわりを柔らかい空気にする存在というのは自分に元々与えられたギフトで、そのギフトを今このタイミングで使う事になった、ただそれだけのこと。
今までの経験や人との出会い全てが、自分のギフトを引き出すためのことだった、どうしたいかじゃない。
人に愛を与えるために自分のギフトを使いたい。
そして、1人1人のギフトを気付かせられる仕事をしたい!!
とても素敵な言葉の数々。
本当に歩くパワースポットのようだ。
ケンさんには、これからやりたい事がたくさんある。
ひとつは、飛騨初のクラウニングスクール。
3歳の子供から通えるスクールで週に一回、3ヶ月通ったら発表回がある。
どんな風に子供達が変化していくのか、とても楽しみなスクールだ。
その子供に関わる親達にも何かしらの変化が絶対にある。
そして、まだまだ先になるかもしれないけれど、障がいのある人だけで、構成された小さいサーカスをやりたい。
障がいがある事で、親がそれを隠してしまったり、最初からできないと決めつけているかもしれない、でも、その考え方をとっぱらいマイナスの所にスポットを当てるのではなくて、プラスの所を引き出していけるような学びの場にしていきたいと強く思っている。
誰しもが生まれながらに、何かしらのギフトを持っている。
だから、そのギフトを引き出す、それが自分の役目。そして、それこそが自分に与えられたギフトなのだ!
ケンさんの挑戦は始まったばかり。
どんなふうになるのか楽しみで仕方ない。

今回の取材を通して、たくさんの学びがありました。
そして、何よりもケンさんが歩くパワースポットと言われるように、たくさんパワーを貰いました。
どんな人も人生を平等に全うできる世の中になるようにこういう人が本当に今の時代に必要です。
ケンさんは、少しクセがありますが、とっても面白い方です。
ぜひ、皆さんに一度お会いしてほしいです!
また、わたしも会いに行きたいと思います!
取材にご協力頂き本当にありがとうございました〜!!
◆Clown ToKa インスタグラム
https://instagram.com/clown18toka?igshid=j6ohvoojj6md
スクールのお問い合わせは、お電話又はメールにて受付中!!
Tel 0577-65-2633
Mail clown.toka2018@gmail.com
飛騨エシカルの室です!
今回は、独特の世界観を持ち、会ったら絶対忘れない方にお会いしてきました!
どうぞご覧ください!
令和2年 12月14日(月) 天気は雪
待ち合わせ場所に到着すると、どーぞ、どーぞと優しく迎え入れてくれた陶芸家のような髭が似合う出立ちの方が。
彼が今回の主役、ケンさん。
それまで勤めた会社を辞めて、株式会社Inter-beingを年明けに立ち上げ予定!
相互共存、すべてが繋がる、すべては繋がっているという意味が込められた会社名。
代表のケンさんはクラウンでありHulaダンサーでもある。
どちらも愛がとても大切。
そしてこの愛を注ぐ事で自分に関わる全ての人がそれぞれの愛に気がつき、さらにそれらが広がって、繋がっていくようにするのが仕事。
今回は、ケンさんがクラウンを通して伝えたいことを掘り下げてお聴きすることに!

・クラウンとは?
クラウンは派手な衣装と化粧をし、サーカスなどに登場するコメディアンである。日本では「ピエロ」と呼ばれることも多いが、ピエロはクラウンの一種である。
「clowns are the secret to world peace」という言葉があり世界の中で大きな存在。
訳すと「クラウンは世界平和の秘訣になる」
サーカスが始まる前に、客席を笑いの渦で盛り上げて場を和ませたり、
世の中の理不尽な事や腹立たしい事、深刻な事も少し視点を変えてみると滑稽になる、そこに笑いをもたらす、
また何も無いところから笑いを生み出すクラウン。
クラウンに初めて出会ったのは、普通の会社員として働いていた頃。
そこで、クラウンをしている人の講義があり、コミュニケーション力の重要さを実感し、仕事の傍ら3ヶ月間、名古屋のクラウン学校へ。
その後、学びを深めるためにアメリカのテキサス大学に2週間ほど単身渡米、クラウンのスキルを色々学ぶ。
アメリカでは、皆の前でプレゼンの毎日。
絶対恥ずかしくて一般の人にはできないような内容。
例えば教室の入口から10分以上かけて入ってくる、顔だけで文字を表現するなど、他にも色々あった。
大変な事もあったけど、トータルで見たら全然苦労じゃない、そんな風にさらっと言うケンさん。
そして、アメリカから帰国後少しずつ色んな場所でクラウンをお披露目していく。

子供会や英会話教室のクリスマス会、障害者施設や福祉施設など。
演じる時、パッと見はクラウンが主役の様に見えてしまうが、実は会場にいるお客さんを主役にするのがクラウンの役目。
例えば、風船が中々膨らまなくてピューっと客席に飛んでいったらそこからストーリーが始まる。
その風船をとった子が主役になり、そこから色々なストーリー始まるのだ。
失敗から広がる、クラウンの世界。
何かを披露して全く受けずにシーンとする。
一般的にいえばすべるということ、すべった時こそ、それを利用してもっと面白くする。
失敗を失敗としない、失敗し続ける事が人を惹きつけるツールになるのだ。
なんて素敵なんだろう!
失敗を恐れている子供や親は多い。
自分で選べない子供も多い。
大人ですら自分で決められない。
ケンさんの元で学ぶ事によって、失敗なんて恐れずに、自分の道を自分で切り開いていける人になれるかもしれない。
殻を破って心が解放されると、自分らしい自由な表現ができるようになる。
そんな体験、子供達にやってほしい!

最初はボランティアでクラウンを披露していたが、ちゃんと責任を持って広めていきたいと思うようになり、会社の中でひとつの事業としてやる事にした。
クラウンを披露する事も仕事だけど、クラウニングでクラウンスキルの学びを通して、自分の可能性が広がる事を自然に感じて欲しい。
子供はもちろんのこと、大人にもぜひ学んで欲しい。
今からの時代、勉強も必要だけど自分の事を知り、自分で選べるようになる教育が必要。
クラウンは子供と話す時、必ずしゃがみこみ、小さい子だと寝転んで低くなって話す。
子供と話す時、しゃがみ込んで話す大人はそんなにいない。
子供とたくさん関わる親や教育に携わる人にこそこのクラウニングを伝えていきたい。
相手の事を常に考えているクラウン。
クラウンにも、まじめ・おとぼけ・かしこい・喋る・喋らないなど色んな種類がある。
ケンさんは優しくてお腹いっぱいが好きというキャラクター。
クラウンと自分との境目が分からなくなる時もあるが、人に優しくなれるのは間違いない。
なんで、人に優しくなれるのか?
それは、自分に優しいから人にも優しくなれるという。
いつも常識や世間体、周りの目を気にし過ぎて疲れている人は多い。
でも、クラウンを学ぶとキャラ設定をしたクラウンにいつでもなりきる事ができるので、すごく楽になる。
これは大人でも子供でも使えるスキル。
すごく人見知りな人がクラウンのキャラを持っていたら、人前でプレゼンしたり営業先で人とすぐ打ち解けられるようになるかもしれない。
自己紹介が苦手な子は多いけれど、クラウンスキルを学ぶ事によって、自分の事をよく知ることができて、友達の事ももっと知りたいと思うようになり、絶極的に色々できるようになるかもしれない。
会社に行くと気を遣って疲れてしまうけど、クラウンを演じてもっと楽に生きられるかもしれない。
障がいを持った人がクラウンを学んだら、障がいさえもプラスに考えて生き生きと過ごせるようになるかもしれない。
このように、クラウニングには色んな可能性がある。
ケンさんが何故そこまでクラウンにこだわるのか?
「人に与えた分、自分に還ってくる、パワーを与えると自分もパワーを貰える。
純粋な子供達にパワーを与えて還ってくるのを繰り返しをしてその子の魅力をどんどん引き出したい。
そして、親の代わりにはなれないけれど、君の事をちゃんと想っているよという事を伝えて、何か困った時に頼ってほしい、そんな人になりたい。
そして、綺麗事じゃないけれど、パワースポットになりたい!!」
Inter-beingを何故このタイミングで立ち上げたのか?
「理由を見つけようとしたがそもそも理由がなく、僕に与えられたギフトを使うタイミングが来たから」
人にパワーを与えたり、まわりを柔らかい空気にする存在というのは自分に元々与えられたギフトで、そのギフトを今このタイミングで使う事になった、ただそれだけのこと。
今までの経験や人との出会い全てが、自分のギフトを引き出すためのことだった、どうしたいかじゃない。
人に愛を与えるために自分のギフトを使いたい。
そして、1人1人のギフトを気付かせられる仕事をしたい!!
とても素敵な言葉の数々。
本当に歩くパワースポットのようだ。
ケンさんには、これからやりたい事がたくさんある。
ひとつは、飛騨初のクラウニングスクール。
3歳の子供から通えるスクールで週に一回、3ヶ月通ったら発表回がある。
どんな風に子供達が変化していくのか、とても楽しみなスクールだ。
その子供に関わる親達にも何かしらの変化が絶対にある。
そして、まだまだ先になるかもしれないけれど、障がいのある人だけで、構成された小さいサーカスをやりたい。
障がいがある事で、親がそれを隠してしまったり、最初からできないと決めつけているかもしれない、でも、その考え方をとっぱらいマイナスの所にスポットを当てるのではなくて、プラスの所を引き出していけるような学びの場にしていきたいと強く思っている。
誰しもが生まれながらに、何かしらのギフトを持っている。
だから、そのギフトを引き出す、それが自分の役目。そして、それこそが自分に与えられたギフトなのだ!
ケンさんの挑戦は始まったばかり。
どんなふうになるのか楽しみで仕方ない。

今回の取材を通して、たくさんの学びがありました。
そして、何よりもケンさんが歩くパワースポットと言われるように、たくさんパワーを貰いました。
どんな人も人生を平等に全うできる世の中になるようにこういう人が本当に今の時代に必要です。
ケンさんは、少しクセがありますが、とっても面白い方です。
ぜひ、皆さんに一度お会いしてほしいです!
また、わたしも会いに行きたいと思います!
取材にご協力頂き本当にありがとうございました〜!!
◆Clown ToKa インスタグラム
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Tel 0577-65-2633
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飛騨エシカルはなぜ始まったのか?
2020年12月05日
皆さんこんにちは〜
飛騨エシカルです。
最近少しずつ、飛騨エシカルが数名の方(笑)に認知されるようになってきたので嬉しいです。
なぜ?この活動をしているのか?とよく聞かれます。
この活動は、ひょんな事から始まりました。
私は、日本全国の素敵な人が集まるインスタ道場という、コミュニティに所属しています。
道場といっても全然厳しい世界ではありません。
コミュニティのオーナーが愛に溢れていて面白い方で、私のような個人サロンのSNS発信の方法だったり、これからのエステ業界のあり方がどうあるべきかなどを発信されています。
インスタ道場のオーナー山野千琴さん♡
https://instagram.com/prism_organic?igshid=brjzcvk94rwy
そこである人と出会った事がきっかけでこの飛騨エシカルは始まりました。
ある日、その方とオンラインでお話しした時に、
「室さんも、飛騨の人を取材してウェブマガジンとか作ってみなよ!」と言われました。
最初は、え?と思いました。
彼女もジョーダンで言ったのかもしれません。
でも、私は本気にしてしまいまして、それから1週間くらい後には、取材アポを取り農家さんのところへ行ってました笑。
そんなきっかけを作ってくれた彼女は、山梨県でエシカルなお店や人を取材したり社会福祉に携わる活動を、サロンの傍らやっています。
彼女は私からすると宇宙人のような人で、考え方が地球規模というかすごく心の広い人で、、、うまく説明できないのですが、活動一つ一つが絵本の世界のようで魅力的。
とても尊敬しています。
これが山梨県で活動している彼女のアカウント↓
◆クラブソルシエのインスタアカウント◆
https://instagram.com/club_sorcier?igshid=7q629u1al6to
「室さんが飛騨の素敵な人を取材する、それが半年、1年と続いていけばそれは面白いことになると思う!」と言われました。
元々、人が好きで、文章を書くのも嫌いじゃない。
それを活かして何かしたいと、うずうずしていたのとタイミングが合ったのかもしれない。
そして、昔から割と自分で言うのもなんですが、まがった事が大嫌いな性格。
竹を割ったような性格と良く言われてきました。
損した事も多々あります。
でもそれを活かして、自分の目で見たり聴いた事を書き本当の事を伝えていきたいと思ったんです。
そして、もう一つは、とにかく誰かの役に立つ事がしたいと思ったこと。
別に昔、すごいやんちゃで悪い事をしていたから償いたいとかではないのですが…笑
若い頃はただ楽しければそれでいいと思っていて、何か意味のある事をしてきたかと言われると、自分の欲のままに生きてきたような気がするんです。
なので、私が書いたブログで何かの役に立てたら嬉しいと思い、この飛騨エシカルを始めました。
うまく伝わらないかもしれないけれど、見た人の世界が少しでも広がったら嬉しいです。
こんな人もいるんだよ〜、こんな面白い人がいるんだよー、こんな仕事があるんだよ〜、こんなに素敵な企業があるんだよ〜などと知って頂けるだけでいいんです。
エシカルがテーマなんですが、私のエシカルは本当の意味で持続可能で豊かな暮らしです。
でも、持続可能で豊がな暮らしのさじ加減って1人1人違うと思うんです。
世の中では、SDGsやサスティナブルなどと難しい言葉もよく、目にします。
これからの時代は環境や人に優しい事が優先して選ばれる世の中になっていくとも言われています。
でも、それだけでは、何か違うような気もします。
私が考える本当の意味での持続可能で豊かな暮らしとは、どんな立場の人でもその人の人生がちゃんと全うされる社会になることです。
人生の豊かさも人それぞれです。
なので、飛騨で取材した人それぞれのストーリーがあるということです。
それを、私なりにまとめてここでご紹介していきます。
どうぞこれからも応援よろしくお願い致します。
これからも、私が会いたい人に会いに行きます。
「室さんって一体何者なの?」とよく聞かれます。
私は「ごくごく普通の人間です。」
今、少しずつ繋がりが増えてきて、楽しいコラボ企画なんかも生まれてきそうです。
これからも、色んな人に出会える事、ワクワクしています。

一度きりの人生、どうせなら楽しみましょう!
飛騨エシカルです。
最近少しずつ、飛騨エシカルが数名の方(笑)に認知されるようになってきたので嬉しいです。
なぜ?この活動をしているのか?とよく聞かれます。
この活動は、ひょんな事から始まりました。
私は、日本全国の素敵な人が集まるインスタ道場という、コミュニティに所属しています。
道場といっても全然厳しい世界ではありません。
コミュニティのオーナーが愛に溢れていて面白い方で、私のような個人サロンのSNS発信の方法だったり、これからのエステ業界のあり方がどうあるべきかなどを発信されています。
インスタ道場のオーナー山野千琴さん♡
https://instagram.com/prism_organic?igshid=brjzcvk94rwy
そこである人と出会った事がきっかけでこの飛騨エシカルは始まりました。
ある日、その方とオンラインでお話しした時に、
「室さんも、飛騨の人を取材してウェブマガジンとか作ってみなよ!」と言われました。
最初は、え?と思いました。
彼女もジョーダンで言ったのかもしれません。
でも、私は本気にしてしまいまして、それから1週間くらい後には、取材アポを取り農家さんのところへ行ってました笑。
そんなきっかけを作ってくれた彼女は、山梨県でエシカルなお店や人を取材したり社会福祉に携わる活動を、サロンの傍らやっています。
彼女は私からすると宇宙人のような人で、考え方が地球規模というかすごく心の広い人で、、、うまく説明できないのですが、活動一つ一つが絵本の世界のようで魅力的。
とても尊敬しています。
これが山梨県で活動している彼女のアカウント↓
◆クラブソルシエのインスタアカウント◆
https://instagram.com/club_sorcier?igshid=7q629u1al6to
「室さんが飛騨の素敵な人を取材する、それが半年、1年と続いていけばそれは面白いことになると思う!」と言われました。
元々、人が好きで、文章を書くのも嫌いじゃない。
それを活かして何かしたいと、うずうずしていたのとタイミングが合ったのかもしれない。
そして、昔から割と自分で言うのもなんですが、まがった事が大嫌いな性格。
竹を割ったような性格と良く言われてきました。
損した事も多々あります。
でもそれを活かして、自分の目で見たり聴いた事を書き本当の事を伝えていきたいと思ったんです。
そして、もう一つは、とにかく誰かの役に立つ事がしたいと思ったこと。
別に昔、すごいやんちゃで悪い事をしていたから償いたいとかではないのですが…笑
若い頃はただ楽しければそれでいいと思っていて、何か意味のある事をしてきたかと言われると、自分の欲のままに生きてきたような気がするんです。
なので、私が書いたブログで何かの役に立てたら嬉しいと思い、この飛騨エシカルを始めました。
うまく伝わらないかもしれないけれど、見た人の世界が少しでも広がったら嬉しいです。
こんな人もいるんだよ〜、こんな面白い人がいるんだよー、こんな仕事があるんだよ〜、こんなに素敵な企業があるんだよ〜などと知って頂けるだけでいいんです。
エシカルがテーマなんですが、私のエシカルは本当の意味で持続可能で豊かな暮らしです。
でも、持続可能で豊がな暮らしのさじ加減って1人1人違うと思うんです。
世の中では、SDGsやサスティナブルなどと難しい言葉もよく、目にします。
これからの時代は環境や人に優しい事が優先して選ばれる世の中になっていくとも言われています。
でも、それだけでは、何か違うような気もします。
私が考える本当の意味での持続可能で豊かな暮らしとは、どんな立場の人でもその人の人生がちゃんと全うされる社会になることです。
人生の豊かさも人それぞれです。
なので、飛騨で取材した人それぞれのストーリーがあるということです。
それを、私なりにまとめてここでご紹介していきます。
どうぞこれからも応援よろしくお願い致します。
これからも、私が会いたい人に会いに行きます。
「室さんって一体何者なの?」とよく聞かれます。
私は「ごくごく普通の人間です。」
今、少しずつ繋がりが増えてきて、楽しいコラボ企画なんかも生まれてきそうです。
これからも、色んな人に出会える事、ワクワクしています。

一度きりの人生、どうせなら楽しみましょう!